気になる木
植物にも心と魂があることは、皆さんもご存知ですよね。その植物の心と魂のことを「木霊」というそうです。植物は花を咲かせ、実をならせ、酸素を供給するなど世のため人のために黙々と活動をしています。つまり人間にとっては、命の恩人のような存在ですね。その植物をいきなり切り倒すことは、恩知らずな行為であるだけでなく、命の恩人に対する裏切りとなります。そこで植物の祟りが生じるのだそうです。「竹内巨麿について」で紹介した浅見宗平氏によると、祟りが生じるかどうかには計算式があるということです。その計算式を紹介しましょう。植物は、世のため人のために活動することにより得(徳)を積みます。その得の量は、無形財産として貯えられます。人間も同様で世のため人のために尽くすと得を積み「得人」となります。逆に自分のため、自分の家のために得をして、他の人には損をさせてきた人は「損人」となり、なにをやってもうまく行かない「不得人」となるそうです。植物の得の量(無形財産)は、その木の年齢によっても違ってきます。樹齢1000年の木のほうが樹齢50年の木よりも得の量がはるかに大きくなります。ここで計算式です。無形財産が50の木を、無形財産30の人が切り倒したとします。すると20の崇りが起こります。その分だけ体が不調になったり、怪我をしたりします。無形財産が60の人が切り倒すと、崇りは起きませんが、60あった無形財産は10に減ります。おそらく樹齢1000年を超す木を切り倒した場合などは、大変な崇りが起こりそうですね。面白いのは、無形財産100の人間と200の人間がいっしょに、無形財産300の樹木を切り倒した場合、二人足して300になるので崇りが起きないように思えますが、崇りはあくまで一対一で生じるのだそうです。この場合、無形財産100の人間は200崇りが、200の人間人は100崇りが生じるわけです。さらに浅見氏によると、崇り以外にも罰(ばち)もあるのだそうです。無形財産50の人間が無形財産50の樹木を切り倒した場合でも、その人間が長年世のため人のために活動してきた木に対する感謝の気持ちを持たずに切り倒すと、木霊が罰となって当たってきます。このため樹木を切り倒すときには、心のこもった神事をする必要が出てきます。神事を執り行うものも、それにより私腹を肥やそうとすると、これも罰を受けることがあるそうですから、気をつけなければなりませんね。さて、冒頭の写真です。一見何の変哲もない木に見えますが、よく見ると道路の真ん中に立っているんですね。道路が木を避けています。JR目白駅そばの住宅地にあります。賢明な判断でしたね。おそらく崇りの計算式を知っている人が、この木を切らせなかったのではないでしょうか。この木を見て、浅見氏の話を思い出した次第です。