新聞記者の日常と憂鬱(浦和支局編55)
▼コンタクティーたちUFO関連取材を始めて驚いたのは、実に多くの人がUFOを目撃し、そのうちの何人かは宇宙人と交信・交流していると主張していることであった。そうした情報は、日本サイ科学会や日本GAPの機関紙などで入手できた。日本サイ科学会とは超能力などの超常現象を科学的に解明し、その知識と普及と活用を図る目的として1976年に関英男氏が設立した学会。毎月一回会報を発行したり、超能力者や超常現象の研究家による講演・実演会を開いたりして活動している。日本GAPは、UFO研究家の久保田八郎氏がアダムスキー型UFOの写真撮影などで有名なジョージ・アダムスキーと提携して1961年に創立した、当時日本最大のUFOと宇宙哲学の研究会であった。その中でとくに私が注目したのは、秋山眞人氏であった。秋山氏は当時、一般的にはあまり知られていなかったが、日本サイ科学会では実名で、日本GAPでは仮名で「私は別の惑星に行ってきた」という衝撃の体験を語っていたのだ。現代版浦島太郎ではないか!私は秋山氏を訪ねて、その驚異の体験について取材した。秋山氏はその体験が事実であると認めたものの、一般紙レベルでそれを公表することはやめてほしいと注文をつけた。自分の体験が大々的にマスコミに報じられれば、必ずマスコミにつぶされると思ったからである。確かに一般的には、別の惑星に行ったなどということを認めれば、頭のおかしい人の妄言であると一笑に付されるだろう。おそらく「秋山は大嘘つき」という活字がそのうち躍るようになるだろう。それは既にジョージ・アダムスキー自身にも起きており、実証済みであった。そのような体験を明らかにすることは、時期尚早であると秋山氏は考えていたようだ。私は秋山氏の希望を聞き入れた。その代わり、秋山氏からは多くのほかのコンタクティー(ETと交信・交流している人たち)を紹介してもらった。私は時間を見つけては、そうしたコンタクティーを取材して歩いた。断っておくが、こうした取材はとても共同通信社として認めることはできないだろうから、すべて勤務外でやっていた。たとえば、泊まり勤務のときは午後5時に支局に出社すればいいので昼間はあく。また、早出の時は午後5時までなので、夜会えるようにアポイントを取って取材した。そもそも私は浦和支局員である。秋山氏のように特異な体験をした人たちは東京を中心とする埼玉県外に住んでおり、私の“管轄外”でもあった。(続く)