超常現象の研究24
▼高野山で開眼東京帝国大学を退官した直後から6年間の福来の足跡については、よくわかっていない。透視や念写の実験を続けていたようだが、どこでどのように暮らしていたのか詳しくは明らかではない。断片的な情報をつなぎ合わせると、1916年東京に本籍を移し、『心霊の現象』という著作を発表。1917年には「観念は生物也」という論文を発表している。興味を引かれるのは、1919年に福来自ら超能力を得るために、和歌山県の高野山に籠もり修行を始めたことだ。晩年の福来をよく知る山形大学名誉教授の中沢信午(理学博士)は、『超心理学者福来友吉の生涯』の中で次のように説明している。「〔福来は〕夜は特別の宿坊(宝蔵院)に泊めてもらい、昼は奥の院で修行に励んだ。この修行の目的は自分自身が超能力を得るためであった。自ら念写できるようになれば理想的だが、そこまでいかなくても透視でもよい。あるいは、それもかなわぬならばせめて多少とも仏教の真髄がわかれば本望だ、というのであった」中沢によると、どうやら福来はその修行の結果、ある程度の神通力を手に入れることができたようである。福来がある日、奥の院を出て、金剛峯寺に近い明王院の赤不動の前に座って瞑想していると、何か「宇宙の大霊」あるいは「大生命」ともいうべきものが足の方から次第に浸透してくるのを感じた。その大霊は胸のところまで上がってきたが、それ以上は浸透しようとしない。福来はそのとき、その霊的な力が全身に満ちてほしいと念じながらふと、「こんなときに美しい音楽でも流れてくれば、宇宙の大生命が全身にみなぎるはずだ」と思った。すると、どこからともなくバイオリンの音が聞こえてきた。次の瞬間、福来は全身に不思議な力があふれるのを感じたのだという。(続く)