白鳥ラインの謎5(夏至の日の祭祀)
なぜ同時刻である必要があったのでしょうか。私は先に、同時刻にしたほうが効率的だと書きましたね。漠然といつ上がるかもわからない狼煙などの通信を待つよりは、時間を決めたほうが、はるかに効率がいいに決まっていますものね。それは現代のインターネットを使った同時双方向会議でも同様です。もちろん、それが一方的な通信であれば、随意の時刻に大々的に狼煙を上げるなど目立つ方法で連絡を取れば済んだかもしれません。ところが古代人にとって、同時刻双方向通信でなければならない理由があったように思えてならないんですね。すなわち狼煙による通信以外のことも、こうしたラインを使ってやっていた可能性があるように思うんです。そうでなければ、羽根や白鳥にちなんだ地名がライン上に残っている理由が浮かびません。もっと太陽信仰や霊鳥信仰、山岳信仰など彼らの信仰や信念に根ざした目的があったからこそ、現代に至るまで羽根や鳥にちなんだ地名が残ったとみるべきではないでしょうか。結論を言えば、同時刻に何らかの祭祀や儀式をしたのではないか、との仮説が成り立つのではないかと考えています。ここにもやはり太陽信仰があるのではないでしょうか。たとえば、伊勢・二見ヶ浦の夫婦石を思い出してください。夏至の日の出が、海に突き出た夫婦岩の間から、しかも富士山の頂上から昇り、そのときに禊をするんですね。そこには決まった時刻と信仰が同時に存在しています。二見ヶ浦は白山の羽(鳥)のラインのほぼライン上にあることも関係ありそうです。おそらく富士山の頂上でもほぼ同時刻に、夏至の日に何らかの儀式や祭りをしたのかもしれません。富士山頂で夏至の日の太陽が昇るころ、白山とともに三聖山とされる立山でもほぼ同時刻に日が昇ります。日の出の時刻ラインは、そのまま平行に西に進み、位山に達したときに、ほぼ「もう一つの羽根のライン」と一致します。そのとき、位山の頂上からは乗鞍岳の方向から日が昇るのを確認できるはずですね。日の出の時刻ラインが白山まで到達したとき、白山山頂からは立山からのご来光を拝むことができるでしょう。そして今度は、夏至の日の正午。太陽がちょうど南中する時刻に、位山の羽根ラインと白山の羽(鳥)のライン(白山・伊勢ライン)上で儀式を執り行うことになります。日没時には富士山から南アルプスの山々の彼方にそびえる白山の方角に日が沈んでいきます。逆に白山から富士山方面を見ると、御岳山の彼方にそびえる富士山の頂に最後の残照が映えていたはずです。白山からは位山や立山はよく見えるそうです。しかし、白山と富士山の間には御岳山や南アルプスの山々があるため、白山から富士山を見ることはできません。お互いの姿が見えない山の間で、ほぼ同時刻に儀式や祭りなどあったのでしょうか。あったのではないかと私は思っています。少なくとも、富士山と白山の間に何か関係がありそうなことは、伝説にも残っていますね。白山と富士山の背比べ伝説です。駿河の人と加賀の人が、それぞれのお国の山を自慢。富士山と白山のどちらが高いか比べることになりました。加賀の人が不眠不休で竹を使って長い長い樋を造り、それを白山の山の上から富士山の方向へと伸ばしていきました。やがて樋の先がゴツンと何かにぶつかります。すると樋の向こう側から狼煙で合図があったので、白山側から水を樋に流しました。水は最初、富士山の方へ流れていきましたが、途中で水が白山の方に流れるようになりました。これでは白山が背比べで負けてしまうと思った加賀の人が、自分の履いていたわらじを樋の下にそっと置いたところ釣り合うようになった、という面白い話です。富士山と白山の間にある「ライバル意識」や、狼煙による合図の存在など、白山と富士山をつなぐ因縁が示唆されているように思えてきますね。古代において、聖なる山々を結ぶ何らかの儀式がこうした伝説の背景にあるのではないでしょうか。もちろん、これらは推測であり、夫婦岩の夏至の儀式を除いては、実際にそのような儀式や祭りは現在では行われていませんし、行われていたという証拠もありません。ただ日本には古くから、特定の日に眠らないで「日の出」という特定の時刻を待って拝む「日待」という祭りがあったことは事実なんですね。待つは祭りに通じるとも言います。三日、一三日、一七日、二三日、二六日などに行う場合が多いんですよ。日奉部と関係があるとの説もあります。その儀式は、われわれの生活にも深く根付いています。富士山などの山頂でご来光を待つのは、今でも生きている太古の太陽信仰の儀式の再現ともいえますね。日本中の山で初日の出を拝するのも、その信仰や祭祀の「なごり」ではないでしょうか。たとえば、日の出の時刻と関係する祭りには、次のような儀式や風習も伝えられています。(続く)