易、シンボル学と山火賁の続き
私は元々、易など信じていませんでした。つまり「当たるも八卦」くらいにしか思っていなかったわけですね(笑)。ところが「これでもか」とばかりに、潜在意識からの神秘的なシンボルを見せられると、易やシンボル学をやらざるをえなくなったわけです(笑)。そして易やシンボル学を勉強してみると、かなり奥行きが深い。「えっ、そんな解釈をするの」と驚かされることが多々あります。たとえば、大空に天使が乱舞している光景を見たとします。普通の人ならそんな素晴らしい光景を見たら、「大吉兆に違いない」と自分も浮かれて、それこそ狂喜乱舞するかもしれません(笑)。ところが、こうしたふわふわしたような霊的映像には、落とし穴もあるのだと、易やシンボルについて詳しい秋山眞人氏は言います。というのも、得てして、天使や神様などの霊的映像はその国民の精神状態をシンボル的に表しているにすぎないことがあるからです。つまり、天使の乱舞は国民全体が浮かれている状態を表わしていることになる。すると、天使の乱舞を見たら、自分も一緒に狂喜乱舞してバブルに浮かれるのではなく、より引き締めて、地に足をつけて地道に生きなさいというメッセージを読み取る必要もあるわけですね。もちろん純粋に天使が祝福している場合もあるのでしょう。だから両方の意味を見極めないと片方に暴走してしまうことになりかねないわけですね。秋山氏は別の例として、靖国神社でみた巨大な大黒様の話をします。新著『正統竹内文書の日本史「超」アンダーグラウンド1』にも少し書きましたが、ちょうど中国政府がチベットを弾圧していたころ、秋山氏は靖国神社で神社の屋根に達するほどの巨大な大黒様を霊視したんだそうです。大黒様は怒っていて、ドシンドシンと西のほう、すなわち中国のほうに向かって歩いて行きました。普通の人はこれを見て――と言っても普通の人はそんな映像を見ませんが(笑)――「中国がチベットを弾圧していることに神様が怒っているのだ」「中国はけしからん。中国をやっつけろ」となるのでしょう。しかし実は大黒様の映像は、国民の集合意識の象徴でもありますから、日本人が非常に好戦的な状態になっていることを示していることにもなるわけです。そういう場合は、より慎重な行動が求められていることになりますね。昨日、ご紹介した「山火賁」もそうです。外面の美しさにとらわれず、内面を充実させよ、という意味と、夢をありったけの想像力で飾れば、それは実現するという意味があるわけです。しかし、どうもメッセージはそれだけではなかったようです。先日の「美レイヤー」もそうでしたが、シンボルには二重、三重の意味があります。「山火賁」にも、実は非常に明確なメッセージが込められていました。「山火賁」の元々の意味は、夕日に染まった美しい山のイメージです。これは後になってからわかったのですが、実は伊豆の下田富士、寝姿山、利島、鵜利根島という4つのピラミッド型の島と山を結んだライン(伊豆ピラミッドライン)は、冬至の日の出ラインであると同時に、夏至の日没ラインでもあります。すなわち夏至の夕日は、下田富士、寝姿山、利島、鵜利根島というピラミッドを一直線に赤く染めることになるわけですね。まさに「山火賁」の美しい光景です。ところが当初、私はそのことにまったく気づきませんでしたから、後日新たに「山岡正」というメッセージを受け取ることにより、ようやくそれに気づきます。気づくのに、一か月以上かかった計算です(笑)。今頃はメッセージの送り手に「あなたたちにはこれだけやらないとわからないのね」とあきれられているかもしれません。これからはもっと、メッセージに敏感でいたいと思っています。もっとも、ピンと来ないメッセージには応答しませんので、ご了承ください(笑)。