記紀に隠されたスサノオの8王子(その2)
『古事記』ではオオヤビコがスサノオの息子であることがわざと隠されています。オオヤビコは、「兄弟たち」から命を狙われたオオナムジを助ける紀伊国の神として登場しますが、スサノオの子供とは書かれていません。ではなぜ、オオヤビコがスサノオの息子だとわかるかと言うと、『日本書紀』にはスサノオの息子であるイソタケル(イタケル)が紀伊国の神となったと書かれているからです。オオヤビコもイタケルも樹木や植物と非常に関係の深い神として描かれています。またオオヤビコも、スサノオと深い関係があることが示唆されているんですね。だから二人は、同一人物であることはまず間違いありません。ただし『古事記』にも『日本書紀』にも、オオヤビコ(イソタケル)の母親が誰であるのか記されていません。スサノオが「高天原」から下り、朝鮮半島を経由して日本に上陸(もしくは再上陸)した際には既に同行していましたから、后は外国の人なのかなとも思いますが、なんら手がかりはないんですね。では、オオヤビコの次は誰か。記紀にはオオヤビコの後の三人の王子について明確に名前とその母親が記されています。「次男」はヤシマジヌミ。母親はスサノオが越の八岐大蛇を退治する「条件」としてもらい受けたクシナダヒメですね。「三男」は大年(オオトシ)。母親はオオヤマツミの娘カムオオイチヒメ。「四男」はウカノミタマ。母親はカムオオイチヒメとなっています。と、ここまでで四人の王子が出てきましたが、あと四人足りません。どうしてかというと、記紀ではそれ以外の王子についての言及が全くないんですね。それでも記紀と同じころ編纂された『出雲国風土記』を読むと、別の子供の名前が出てきます。青旗佐久佐日子命(アオハタサクサヒコノミコト)都留伎日子命(ツルギヒコノミコト)衡鉾等乎而留比古命(ツキホコトオテルヒコノミコト)磐坂日子命(イワサカヒコノミコト)国忍別命(クニオシワケノミコト)王子が五人いることになっているんですね。(続く)