ノアとその子孫はシュメル文明に溶け込んだ一族であった
シュメルからエジプトへと文明が伝播したことを裏付ける歴史的文書がなぜ『旧約聖書』かというと、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教を信じるいわゆる啓典の民の始祖とされるアブラハムの一行がシュメルからエジプトへ移動したことが明記されているからです。ご存知のように聖書には大洪水があったことが記されています。それが「ノアの箱舟」の物語ですね。この物語自体がシュメル人の『ギルガメッシュ叙事詩』の大洪水の物語と酷似していることからも、シュメル文明の影響を見て取れます。それはさておいて、『旧約聖書』によると、大洪水を何とか生き延びたノアの一族はアララト山に流れ着きます。アララト山は、トルコ共和国の東端にある標高5,137メートルの山ではないかとされています。アララト山がどこであるのか確定はしていませんが、少なくともメソポタミアのそばに流れ着いたのは間違いないでしょう。というのも、ノアの子孫であるアブラハムはシュメル人の都市国家であるウルで生まれたことが聖書の記述からわかっているからです。アブラハムは、ノアの息子セムから数えて10代目に当たります。アブラハムは紀元前2000年ごろの人物だとみられていますから、ノアおよびその子孫が生きた時代はちょうどシュメル文明が栄えていた時代(紀元前3500~紀元前2000年)と重なりますね。ということは、ノアおよびその子孫は大洪水の後、シュメル文明の地にたどり着き、そこで生き延びた一族であったことがわかります。で、その間に何があったかというと、聖書では天に届く塔を建てようとしたら崩れてしまった「バベルの塔」の物語が挿入されています。で、この「バベルの塔」が何であったかは諸説ありますが、一番説得力のある説がバビロンにシュメル人が建造したとされるジッグラトなんですね。ジッグラトは既に説明したように、神の訪れる神殿としてシュメル人によってメソポタミアの諸都市に建造された「人工の山」です。「高い所」を意味し、日乾煉瓦を用いて数階層に組み上げて建てられた聖塔でもあります。時代的にも符合します。そういった聖書の記述を読むと、ノアおよびその子孫はシュメル文明に溶け込み、シュメル人たちと一体化したとも考えることができるんですね。元祖シュメル人とは言えないかもしれませんが、ほとんどシュメル人である、と。 話を進めますと、シュメル人の都市ウルで暮らしていたアブラハム一家は、シュメル文明の衰退を身近に感じたからでしょうか、カナン(ヨルダン川西岸、現パレスチナ)の地への移住を決断します。実際、紀元前2000年ごろのシュメル文明は滅亡の危機にさらされていました。地方の諸国家が強さを増し、シュメル人はメソポタミアで政治的な覇権を失い始めたんですね。ウル第3王朝の時代には、支配下の諸都市が離反し、紀元前2004年、アブラハムの生まれ故郷であるウルは占領されます。そしてこれによってシュメール人国家は事実上滅亡してしまったんですね。既にシュメル人と一体化していたアブラハム一家が新天地を求めたのは、そうした時代背景があったのだと思われます。ところがカナン地方が飢饉に襲われたため、アブラハム一行はカナンに定住することをいったん諦め、エジプトへ向かいました。(続く)