船山にまつわる「竹内文書」の記述と「両面宿儺」の伝説
これが船山神社です。小さな祠のような神社ですが、なかなかの風格があります。「竹内文書」の研究家上原清二によると、オシホミミの神陵がここにあるそうです。ただし、『神代の万国史』を読むと、オシホミミの三番目の妻である日玉久久野姫が久久野山、すなわち船山に葬られたとも解釈できます。いずれにしても「竹内文書」では、天神第五代の霊が滞在した場所であると同時に、オシホミミともゆかりのある聖なる山とされています。また、「両面宿儺」の伝説にも、船山は登場します。「位山の主(注:両面宿儺のこと)は、神武天皇へ位を授けるべき神である。身体一つにして顔は二面、手足四つの両面四手の姿である。天の叢雲をかき分け、天津船に乗って山の頂に降臨した。神武天皇に位を授けたので位山と呼び、船の着いた山を船山という。」まあ、とにかく飛騨地方には、現在の天皇家の「大御先祖様」に位を授けるぐらいのすごい神様がいたわけです。古代飛騨・越ヒスイ王朝があったということですね。その末裔が、記紀神話で怪物扱いされている越王ヤマタノオロチで、その8番目の末娘、つまり末子相続による王位継承者がクシナダヒメであったというのが私の見解です。政略結婚によりスサノオの正妃となりました。櫛と玉(ヒスイ)の神器は、スサノオからその四男の大年ことニギハヤヒの手に渡ります。だからニギハヤヒの別名が『先代旧事本紀』に天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊と記されているのではないでしょうか。それはともかくとして、社殿に向かって右奥には、「イルカ石」と名付けられた、線刻を施された大きな石が鎮座しております。石の上部に波模様が刻まれているからイルカ石と呼ばれるのでしょうか。イルカに見立てるにはかなり想像力が必要ですね。「イルカ」にはほかの意味があるのかもしれません。社殿の周囲にも磐座らしき巨石遺構が点在しています。厚みのないピラミッドのような石が台座に載せられている巨石の組石も見受けられました。現在では雨乞いの神社として、地元の方々によって大切に保存されています。