ウィリアム・ステュークリーが描いた古代遺跡のイラスト1
今日からは趣向を変えて、18世紀のイギリスの好古家・ウィリアム・ステュークリーが描いたイラストを紹介していきましょう。第一回目は、こちらのイラストです。1723年7月18日、エイヴベリーの南西に7キロ離れた場所にある標高258メートルのモーガン・ヒルから描いたスケッチです。このイラストの価値は、今のように建物や人工の障害物がない時代に、どのように古代遺跡が見えたのかがわかる点にあります。しかもイラスト自体、ちょっと俯瞰して描かれていますから、若干誇張されていますが、非常に遺跡の配置がわかりやすいのが特徴です。左の鉄器時代のヒル・フォート(丘を加工した要塞)であるオールド・ベリーから、先史時代の人工丘シルベリー・ヒル、そしてその向こうにマールボロの町が描かれています。ちょっとわかりづらいかもしれませんが、そのマールボロの町には三角形の小さな丘が描かれています。それがマールボロ大学の構内にある「マーリンの丘」ことマールボロの丘です。この丘は11世紀ごろに築かれた加工丘であるとされていましたが、2011年の調査によって、なんとシルベリー・ヒルと同じ4400年前の新石器時代の人工丘であることが判明しました。拙著『竹内文書と平安京の謎』で明らかにしましたが、この二つの人工丘は、上空から見ると秒数まで一致する同一の緯線に接する2対1の大きさの円となるのです。もちろんステュークリー氏はそのことを知る由もなかったでしょうが、スケッチからはこの二つの丘がモーガン・ヒルから確認できたことがわかるわけです。つまり、この二つの人工丘が測量に使われた可能性が高いことをいみじくも示しているわけですね。この考察はもう少し続けましょう。(続く)