賀茂氏と秦氏3
既に説明したように、タケツノミは八咫烏ことアヂスキタカヒコネのことです。つまりタケツノミの父親が大国主というわけですね。しかも母親は、スサノオとアマテラスの政略結婚で生まれた宗像三女神の長女タギリヒメです。秦氏が渡来するずっと以前の人物です。ですから一見、秦氏と関係ありそうな人物はいません。ところが、奇妙なことが一つあります。記紀神話では、大国主ことオオナムヂの出自はまったくわからないように書かれていることです。『古事記』にはスサノオの六世孫などと書かれていますが、スサノオの娘スセリビメの婿になったのがオオナムヂなのですから、この系譜は完全に破たんしています。正統竹内文書の口伝継承者である第七十三世武内宿禰こと竹内睦泰氏は、「正統竹内家の口伝をもってしてもオオナムヂの出自はわからない。多分ユダヤ人」と話しています。ユダヤ人だったかどうかの確証はありませんが、オオナムヂは古代シュメール(スメル)と関係があった可能性は高いと思います。というのも、『古事記』に記されたオオナムヂの物語の大半はシュメール(スメル)神話に登場するドゥムヂという神の物語のパクリだからです。ナムヂとドゥムヂで名前まで似ています。それにオオナムヂの別名である「葦原色許男(あしはら・しこお)」という名前もシュメール(スメル)っぽい響きがします。シュメール人は自分の国のことを「キエンギ」、すなわちキが大地で、エンは主人、ギが葦ですから「葦が主の国」というような意味で呼びました。それと同じように記紀神話の天孫族は「葦原中国」と自分の国のことを呼んでいましたね。これは偶然でしょうか。それについて書かれた本がこちらです。シュメール文明が栄えたメソポタミア南部は葦が生い茂る肥沃な大地が広がっていました。つまり「葦原」はメソポタミアの地を指していたのかもしれません。そうだとすると、『古事記』でスサノオが、娘が連れてきたオオナムヂを一目見ただけで、「こいつは葦原色許男だ」と看破した理由が納得できます。オオナムヂが西アジア・中近東系の顔をしていたからではないでしょうか。オオナムヂがエキゾチックな顔立ちであったならば、スセリビメをはじめとする女性たちが、一目ぼれしてしまうのもわからなくはありませんね。しかしながら、同じ葦原族、つまりシュメール(スメル)出身の一族であっても、オオナムヂは、スサノオ系の出雲族、アマテラス系の日向族でもなかったわけです。もう一つの葦原出身の部族がいたことが、記紀の神話からわかります。それがツクヨミ系の月氏族です。(続く)