賀茂氏と秦氏26
歴史は暦と密接にかかわってきます。ツクヨミ一族はまさに天文博士、月読みの一族であったことは既に紹介した通りです。秦氏もまた、歴史に熟知していたからこそ、「秦」という名にこだわったのではないでしょうか。では、秦氏はどのような歴史を知っていたのでしょうか。結論から言うと、秦氏は地政学的に見ても、おそらく中東からアジアに至る世界の歴史を独自の暦(年代)でつぶさに記録してきたツクヨミ族の分派だったのではないでしょうか。秦国の歴史をもう一度振り返ってみましょう。春秋時代(紀元前770~同403年)、始祖非子のときに、周の孝王に秦(甘粛)を与えられ、紀元前771年、襄公(じょうこう)のとき初めて諸侯に列せられ(秦の初代公となり)、大国へと力を付けていきます。その後、戦国時代(紀元前403~同221年)になって乱世が続きますが、紀元前221年に秦王・政(秦始皇帝)が現れて、中国を初めて統一して、一大国家を築きました。秦氏が秦国の王族の血統であるならば、紀元前8世紀から1000年以上にわたる歴史を知る一族であったと推し量ることができるわけです。で、既に指摘したように、古代イスラエルの衰退と、秦国の台頭は歴史の中で呼応していますから、古代イスラエル人の生き残りがシルクロードのモンゴルの草原地帯に近い秦国の辺りに逃れてきた可能性があるわけです。民族的にも古代秦人は、東西交易の要衝にいたこともあり、コーカサス人種が混ざっていた可能性が高いと見られます。実際、秦の始皇帝の容貌は異彩を放っていたと言います。史記の秦始皇本紀第六に次のように書かれています。秦王為人,蜂准,長目,摯鳥膺,豺聲,少恩而虎狼心・・・“蜂”は“隆”、“准”は“鼻”のことで、鼻が盛り上がっているという意味です。ですから、次のような訳になります。秦王政の風貌は、鼻は高く尖っていて、眼は切れ長、胸は鳥膺(鷹のように突き出ている)、豺(やまいぬ)のような声で、残忍で虎狼のような心をもっている。ひどい書かれようですが、鼻が目立つ人種であったというのですから、コーカサス系であったとしても不思議ではありませんね。私の大先輩の長宗我部友親氏も鼻筋の通った大きな鼻の持ち主でした。すると、弓月の君とその子孫たちは秦国の1000年にわたる歴史だけでなく、紀元前2000年ごろスメルにいたアブラハムからの古代イスラエルの歴史、すなわち2000年以上にわたる歴史すら知っていた可能性すらあるわけです。そして、その歴史の知識が『古事記』と『日本書紀』の節々に表れているように思われます。(続く)