石室神社と熊野神社から見る古代大和王朝の歴史
昨日紹介した石室神社をもっと近くで見てみましょう。本当に岩に食い込んでいることがよくわかります。で、神社の左側に見える階段のほうから降りてきて参拝するのですが、この写真を撮ったのはこちらからです。先のほうに突き出た岬があるんですね。この岬には、もう一つの奥宮のような神社があります。こちらがその奥宮の熊野神社。熊野神社と言えば、実は出雲系なんですね。事代主は出雲系ですから、別に構わないのですが、なぜ神武が熊野から迂回して大和に入らなければならなかったかのヒントもここにあります。出雲と日向のハーフ系の神である八咫烏ことアジスキタカヒコネ(タケツノミ)や、出雲系の神である高倉下こと天香山を味方に付けないと、とてもではないけど、日ノ本将軍ことナガスネヒコに太刀打ちできなかったからです。神武は、熊野で出雲系の神々の助けを受けて、大和へ進軍。八咫烏の援軍により和睦となって、神武がニギハヤヒが作った統一王朝を継承することが決まりました。ナガスネヒコの妹ミカシキヤヒメは既にニギハヤヒの王妃になっていましたから、その息子ウマジマジは「食料大臣」の要職に就いて神武政権を支えることになりました。娘ウマシホヤ姫は天香山と結婚します。後にウマジマジの子孫が孝元や開化天皇の后になるのは、こうした和睦があったからなんですね。開化天皇の息子である崇神にも、ミカシキヤヒメの血が流れていることになります。そうしないと、崇神による再統一は難しかったと解釈することもできますね。