ザ・イヤー・オブ・1980(その83)
スキーは私にいろいろなことを教えてくれました。冬の山の中で見る満天の星や、夜空から降り注ぐ無数の粉雪の舞いは、自分がまるで宇宙空間にいるような感じにさせてくれると同時に、自分が宇宙の一員であることを教えてくれます。 自然の厳しさや美しさも教えてくれますね。ホワイトアウトするような吹雪には何度も遭遇しました。1メートル先も見えなくなります。リフトに乗っているときの、凍えるような厳しい寒さを経験する一方、晴れたときの雪山から見下ろす光景はえもいわれぬ美しさです。 また、子どものときは、「どうしてスキーがそんなにうまいのか。どこかで習ったのか」とよく尋ねられました。私の答えは簡単です。「見て覚えた」のです。うまい人の動きをよく観察して、それを真似ました。スポーツの基本はうまい人の動きをよく見て、コツをつかむことなんですね。だから周りにうまい人が多くいればいるほど、自分もうまくなれるわけです。 実は中学生のときには、あやうく雪山のスキーで遭難するような体験もしています。伯父と二人でスキー旅行に出かけ、群馬県の水上温泉近くの宿に泊まったときのことです。その宿泊施設から水上高原藤原スキー場へは、スキーを履いて30~40分ほど歩いて行く必要がありました。いくつかの尾根を越えて、道があってないような林の中の道を二キロほど進むわけです。 朝、初めてその道を教えてもらって、簡単に行き着くことができました。そのとき、伯父は「帰りは自分で宿屋まで帰るように」とだけ言って、スキー場では自由行動となりました。伯父はかなりの自由放任主義なんですね。 一日中滑って、夕方気づくと、伯父は既に自分で宿屋に向かって歩いて帰ってしまった後でした。私も朝の記憶を頼りに宿まで戻らなければなりません。ところがよく見ると、同じような尾根が二、三本出ています。それに朝とは違って夕方は景色や雰囲気が変わってしまうんですね。 それでも記憶を振り絞って、多分これだろうと思って選んだ尾根を進みます。しかし、いくら進んでも記憶にある道に辿り着きません。20分ほど歩いてから、どうも自分が間違った尾根を進んでいたことに気づきます。もう一本山側の尾根を行かなければならなかったわけです。 そこで軌道修正するために、谷を越えてその上の尾根に出ることにします。大幅な時間のロスをしてしまいました。夕闇がすぐそばまで迫ってきます。ちょっと焦りましたが、上の尾根まで出たら、そこには朝知った道がありました。ここまでくれば安心です。 宿屋のある村の光が見えてきました。宿屋に近づいたとき、雪がちらほらと降り始め、日はどっぷりと地平線の彼方へと沈んでおりました。 宿屋の前には伯父が心配そうに立っています。伯父は「あと五分待って来なかったら探しに行くところだった」と言います。私が尾根を一本間違ったことを伝えると、伯父は「もっとちゃんと道を覚えるように」とたしなめます。覚えたつもりだったんですが、不覚でした。 ともあれ、無事に生還。遭難することもありませんでした。 こうした失敗は良い戒めとなりますが、何事も「災い転じて福となす」こともできます。 高校一年生のときの冬の宿題で、「冬の花」という題の作文を書かされたんですね。私はこの時の「あわや遭難」という体験をベースにした短編小説を「冬の花」というタイトルで、200字詰め原稿用紙33枚で書き上げて提出しました。私の現代国語の成績はそれまで二学期とも「4」しか取れなかったのですが、その学期だけは「5」を取ることができました。作文が評価されたのだと思って、嬉しかったのを覚えています。それより少し前には学校の創作雑誌に初の短編小説「秋の話」という作品を紹介しておりました。このころから物書きを職業にしようと考えるようになっておりました。そして新聞記者や編集者を経て、現実にこうして、物書きになっているわけです。 (続く)