中学で味わった奈落の底
一貫教育の学校ですから、小学校から中学校へはエスカレーター式に上がることができます。兄や姉のように塾に通って中学受験しなくてよかったわけです。もっとも、腕試しを兼ねて、中学受験のテストだけは予告なしに突然受けさせられました。そうしたらクラスで五人くらいしか受からなかったという結果が出ました。 私はその五人のうちの一人だったので、「そうか、兄と姉はこの試験を受けて合格したんだな」と実感できたわけですが、たった五人しか受からなかったというのもショッキングンな話でした。つまり中学に入ったら、受験勉強をして学力をつけた生徒と一緒になるということです。 一方、小学校から上がったエスカレーター組は、通信簿という存在すら知らず、受験競争とも無縁で、学力があるかどうかもわからない、のほほんとしてきた生徒ということもできます。試験勉強に関して言えば、最初からかなりの実力差ができてしまうんですね。 環境も随分と変わりました。 中学に入ると、これまで40人弱のクラスが三つだったのが、いきなり50人弱のクラス6つに増えます。生徒数が二倍強になるんですね。しかも、これまでなかった通信簿(成績表)というものが配られるようになります。結構なカルチャーショックです。それまでは遊びがメインで、その合間に勉強をソコソコやっていれば、それでよかったわけです。中学からはそうはいきません。いい点を取らないと落第してしまいます。通信簿で赤点を取らないようにしなければならないというのは、初めはかなりストレスを感じました。 でも結局、慣れてしまうんですね。試験勉強もクイズを解く遊びだと思えば結構楽しめました。遊びなら私に任せてください。なるべく効率的に勉強することをすぐに覚え、試験の点取り屋に変身しました。 英語と数学と体育は常に七段階評価の一番上の5でした。国語と理科、美術と音楽も5か4を取りました。一番苦手だったのは社会科の暗記物。試験勉強の時はいつも四苦八苦で、大体4以上でしたが、ヘタをすると3+を取る時もありました。 面白いことに、私の成績は生涯を通じて、どこで勉強しようと、同じような成績しかとりませんでした。それは高校でも大学でもアメリカの大学院でも同じで、大体似たり寄ったりの成績です。可もなく不可もなく、だいたい4以上というのが私の通信簿でした。 (続く)