災い転じてクロール泳者に
こうして1974年3月に無事中学を卒業したものの、せっかくの宿題のない1か月弱の春休みをスキーにも行けず、ひたすらコルセットをしながら静養しなければならなくなりました。当時の私にとっては、拷問のような日々です。 ただし、一つだけやっていいという運動がありました。それが水泳だったんですね。浮力で体が軽くなる分、腰への負担を軽減できます。ゆっくり泳ぐのであれば問題はないとの医師からの了解を得て、春休みはプールでのんびりする時間を持ちました。 私は機械体操以外ほぼスポーツ万能(高校2年生くらいのとき一度だけ機械体操で4を取った以外、すべて5の成績)だったのですが、実は水泳ではクロールが苦手でした。得意は平泳ぎで、水泳部の連中とも競る位の馬力はありました。しかしクロールは、息継ぎが下手で校内の水泳大会の自由形の競技では平泳ぎか背泳ぎかのしで出場していました。それでは勝てませんね。 ところが、この傷心の春休みには、体の力を抜いて、のんびり泳ぐ機会が増えたため、クロールの息継ぎが上手くなったんですね。苦もなくクロールが泳げるようになりました。それが不幸中の幸いでしょうか。 以来、クロールは得意種目になりました。大学や社会人になっても水泳は続け、テニスを5,6時間やった後に、1キロくらいクロールで泳ぐこともできるようになりました。いいクールダウンになります。テニスをやっていなければ、3キロ強の距離を1時間以上休まずにクロールで泳ぐこともできます。でもまあ、水泳部の連中には到底かないませんけどね。趣味の範囲で、まあまあのクロール泳者になることができたわけです。 (続く)