17歳の作文の自己講評
私が17歳のときに書いた作文「光の中で」。 今の私から見れば、稚拙で文法的な誤りも多々ありますが、17歳当時の私としては魂を込めて作成した作品だったことがよくわかります。 「外燈は、一倍の寒さを二倍の寂しさに変えて、昼の光を三倍に恋しそうに見つめる目のようであった」とか、「彼の目の悲しみだけが唯一の連絡路となって、私の思いは、過去の光に溶けてゆく」など自分の感性をフル動員して絞り出すように言葉を紡いでいっていますね。感性の表現者として、今でも通用する表現が随所に見受けられますから、17歳の作文としては、上出来だったのではないでしょうか。 驚いたことに、当時はオカルトのことをよく知らないはずだった私が、たぶんにオカルト的だったことです。ここに登場する「象徴的な少年」も、まるで実際に見た霊であるかのように描かれていますが、想像して描いているだけです。それでも今の私から見ても、妙にリアリティがあります。時代に取り残された者たちの残留思念を描くと、このような描写になるかもしれませんね。 小学生の時以来、オカルト的なことは、どうせ話しても信じてくれないとわかっていましたから、封印してきました。 オカルトは体験のない人に話しても、決して理解されることはありません。 ところが、16歳、17歳ごろになると、徐々にその力が溢れてきたようにも思われます。 ここに描かれている言葉も、実はかなり啓示的に降りてきている言葉を書き留めて、それをつなぎ合わせて書いているように感じます。 それは今も変わらず、ボーっとしていると言葉がすぐに降りてきます。 その初期の現象が、高校生時代に起こっていたのではないでしょうか。 もっとも本当にオカルト的能力の封印を解くのは、21世紀になってからでした。 それも追々語って行きましょう。 ご参考までに、「光の中で」の全文を通しで再掲しておきます。お暇なときにお読みください。 『光の中で』 つい此の間のことである。私は、一人の少年に出会ってしまったのだ。 何故「・・・しまったのだ。」と書いたかというと、私はいまだかって、彼との出会いが、一つの意外な、奇妙な驚きであるというだけでなく、むしろ、自分の記憶の道の上で、なにかとんでもない、運命に逆らった落し物を拾ってしまったのだという気がしてならないからである。 そして、同時に、彼の静かな悲しみが深い湖になり、その細波が、ささやかな過去の足音とともに四方から、私の心の窓に押し寄せてくるように思えてならないからである。 思えば、彼を知ったということは、私に新しい光の存在を教えてくれたのに他なるまい。 実際、見方によっては、あらゆる光の中に、私は彼の存在を認めざるを得なくなるのだ。 時は少し流れて、やはり、季節は秋である。 ――それも黄昏時。 うす茶けた木の葉が地に散るように、黄昏は夜に流れる川のようであった。 一日の大地の光は、雲となって流れ、今まさに西の方へと沈もうとしていた。 時折、夕暮れの木枯らしは、息深い物思いを地に吹きつけ、寂しげな外燈の光が、芯の細いろうそくとなり、ぽつりぽつりと、青黒いカーテンの裾から、その姿を現わしていた。風は火花のように飛びまわり、人はその中を風に誘われて、家への道をひたすら急いでいた。 人は風に運ばれる枯葉のようなものである。 ただ、風の運ぶ場所が違うだけの事。 風は枯葉を冬に運び、人は、風の冷たさを嫌い、家の光の中へと歩を運ぶ。 やがて、夕焼けの空が、夜の中に次第々々に溶けてゆき、ポッと、ろうそくの火が消えるように、あたりは夜に包まれた。 自然の光は消え――いや、ささやかな天の星だけは残っていたが――そこには、文明の光が黒々と立って、独自の美しい光の世界を闇に投げ掛けていた。 そして、時は寂しげな秋の夜と変わった。 家路を急ぐ彼らは、外燈に照らされ、その幸福の道を歩いてゆく。 彼らは常に光の道を往来するのである。 ところが、ただひたすら光を求めるだけで、光の影に振り向こうとはついぞしたことがないのである。 外燈は、彼らにとっては、単なる文明にすぎないのだ。 しかし、何とその日の外燈の光の弱々しいことであったろうか。 外燈は、一倍の寒さを二倍の寂しさに変えて、昼の光を三倍に恋しそうに見つめる目のようであった。さて、私は、それらすべての中で、同様、光を求めて静かに歩いていた。夜の沈黙は、まるで生き物のように、ところどころに姿を現わしては、幽霊のように消え、また現れたりして、いろいろな寂しさを形成していた。 その沈黙の合間をぬって、木枯らしは低空飛行を続け、枯葉はカサカサと音をたてて舞い上がる。今宵の風は、その行方を知らぬらしい。勘違いの方向に、全く気まぐれに枯葉を飛ばしてしまう。私の目はそんな枯葉の後を追う。そして、それは、私の目を小さな人影の前へと運んだのである。 彼は、棒のように黒々と立っていた。彼と私の間に沈黙の川が流れ、私の感情は縦になって息詰まる。小さな恐ろしさと、大きな驚きが重なり合って交互に私の胸にやって来る。彼は静かに、彼は静かに青白い外燈の光の中に進み出た。その少年は何と寒そうな姿をしていたことであろうか。薄地の赤茶色のぼろをまとった、白く細った少年で、その姿はまるで永遠の貧しさを象徴するのに十分であった。 さらに驚いたことに、彼はいわば幽霊のようにうっすらと、落ち葉の上に素足を置いて、その目はあらゆる悲しみをたたえ、黒く光った湖の底のようであったのだ。 視線が私に注がれて、彼の悲しみがそのまま私にやってきた。彼は言葉を使わずに、自分の悲しみの深さを示したのだ。 彼は外燈の光の影に一歩下がり、その青白い光を見つめていた。今から思うとそれは、なんと不思議な光景であったことか。私と彼は、そのまま、夜の流れに流されるがままに、何時間も静かに立ち尽くした。いや、私はその時すでに眠っていたのかもしれない。何故なら、ふとあたりに気づいた時は、もう彼の姿はなく、自分だけが、その光の中に茫然と立っていたのだから。 そこで、私は、ベンチに座って考え込んだ。あれは、何であったのだろうか。外燈の光が造り上げた単なる幻影であったのだろうか。白い影のいたずらか。それとも、彼自身、光そのものであったのだろうか。 答えが浮かばないままに、闇が風に追い立てられて、あとからあとから通り過ぎた。時がその後を、駆け足で追って行く。不気味さがあたりを支配し、私の考えを惑わして行く。そして、彼の目の悲しみだけが唯一の連絡路となって、私の思いは、過去の光に溶けてゆく。(了)