怒涛のオカルト人生(過去生を癒す虹)
湖水地方を訪れた翌日(8月28日)、ロンドンに向かう途中で立ち寄ったのが、オックスフォードの近くにある世界遺産、ブレナム宮殿です。美しい宮殿ですね。スペイン継承戦争の最中の1704年、ドイツのブリントハイム(英名でブレナム)の戦いで英公爵ジョン・チャーチルがフランス軍を破った功労をたたえて、チャーチル家に贈られた居城だそうです。その子孫で、後に英国首相になったウィンストン・チャーチルは1873年にここで生まれています。そのブレナム宮殿がバスの車窓から遠くに見えてきた時です。furafuranさんが宮殿そばの川に橋が架かっている景色を見て、「ここに来たことがある」と言って、目を潤ませます。いつものことながら、今生で私たちはここに来たことはありません。よほど懐かしかったのか、furafuranさんの涙は宮殿入り口の広場のところに来るとますますこぼれ始めます。前日から涙腺が緩み「泣き虫」になっている私も涙がこぼれて、2人で大泣き状態です。観光客がたくさんいる場所で、2人で大泣きしている光景を思い浮かべてください。傍から見ると、結構笑えるかもしれません。でも2人は真剣なんです。もっとも、目にごみが入ったぐらいにしか思わなかった人もいたかもしれませんね。涙を隠すようにして、私たちは宮殿の庭園を見て回りました。その間中、過去生ガイドの女性がいろいろ案内してくれます。薔薇園です。巨木のある道。庭園から見たブレナム宮殿。過去生ガイドの女性が教えてくれた場所から撮影した、私たちのお気に入りの風景。ちゃんと晴れるタイミングも教えてくれました。懐かしい、思い出の地であったブレナム宮殿を離れていくバスの車窓からは、虹を見ることもできました。ちょっと出来すぎのような気がしますが、本当に虹が出たんです。「もう一度、2人で見に来ようね」という過去生の約束が、時を超えて成就されたということだと理解しました。「過去生の約束」と書いてしまったからには、もう少し説明を加えておきましょう。これはひとつの夢物語として聞いていただいても一向に構わないのですが、100年以上前にイギリスにいた私たちの人生の最後は、必ずしも幸せなものではありませんでした。これは私のfurafuranさんが見た映像から、私たちが類推している過去生の物語です。私とfurafuranさんは当時も愛し合っていましたが、どうやら親の反対など障害も多くあって結婚はしていなかったようです。そんな中、7~8人の仲間と一緒に私たちはドーバー海峡を渡ってフランスへ行きます。一種の留学のようなものだったみたいです。ところがパリで私たちはある事件に巻き込まれて、私を含む多くがおそらく銃で撃たれて死んでしまいます。現場はパリのオペラ座か、それに近い劇場だと思われます。生き残ったのは、furafuranさんと、バースでもご紹介した、真ん中で髪を分けた金持ちでお洒落な男性の2人だけ。furafuranさんは悲嘆に暮れて、修道院に入って、その後若くして亡くなってしまいます。おそらくブレナム宮殿では、パリに留学する前に何かの晩餐会かなにかに招待されて、庭園を散策する機会があったのではないかと思います。当時のfurafuranさんと私はその庭園がとても気に入って、また2人で来ましょうねと約束した。だが私がパリで不慮の死を遂げたことで、その約束が果たされなかった。時が流れ、今生で2人は出会い、かつての約束の地であるブレナム宮殿の庭園を訪れることになった。そう考えると、今回私たちがなぜ涙を流してまで、湖水地方を訪ね、イギリスの庭園めぐりをすることになったのかがわかってきます。過去生で生じた不幸な出来事によって深く傷ついた私たちの過去生の魂を癒すために、二人で泣く必要があったのではないでしょうか。そうでなければ説明できない涙です。でも、もう何の憂いも心配もありません。過去生の約束は成就し、過去の悲しみは未来の光の中へと融けてゆきました。(続く)