怒涛のオカルト人生(悠久の時の中の楔)
2010年でほかに特筆できる出来事は、5月から6月に掛けて私たちが再びイギリスを訪問しているときに起こりました。5月30日に私たちが泊ったのは、その後英国訪問時の常宿となったスコットランドの国境近くにあるイギリスの農場でした。写真は同日、スコットランドの方角に沈んでいった夕日です。農場のゲストハウスからスコットランドの大地の彼方に沈んでいく雄大な夕陽を眺めた、その夜。といっても翌31日の朝方でしたが、私は不思議な夢を見ます。夢といっても、既に起きてはいるものの、まだ意識が完全に覚醒していない状態でみた「夢」です。その夢の中で私は、風が吹き渡る広大な草原を見ていました。草原の右手のほうを見ると、ちょっと離れた場所にストーンヘンジに似た巨石群が立っています。このとき私は、この草原が物質的な草原ではなく、時間の象徴としての草原、あるいは物質化した時間とも言うべきもので、時間を三次元的に表現した映像であることに気付きます。道理で草が液体のように波打っているわけです。こうして、悠久の時間の中に巨石が立っているのだと、私は「夢」の中で理解します。そのときふと浮かんだのが、「時の楔(くさび)」という言葉でした。どうやらその夢の中の映像は、この宇宙の無限の時の流れの中で「時」や時代、あるいは歴史を固定させるために巨石を造ったのだと言っているようでした。巨石は確かに天体観測に使われたのかもしれませんが、別の次元から見ると、無限の中に時間や時代、あるいは歴史を刻むものが巨石なのかなとも感じられました。「夢」はただこれだけです。私には巨石を造った人たちの意図がはっきりとわかるわけではありませんが、その夢から得た示唆は、巨石は時間に何かをする道具であったということです。おそらく時間を越えて何かを送ることができたのではないでしょうか。それが良いものであれ、悪いものであれ、想念を地球のあらゆるところ(世界中にある巨石群?)へ、あるいは宇宙へ、過去や未来へと、配信(受信も)できる装置であったような気がします。想念(エネルギー)転送(送受信)装置、テレパシー増幅器といったところでしょうか。「夢」をみて、そのようなことを思いました。(続く)