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テーマ:不思議な世界(701)
カテゴリ:不思議な世界
超能力者列伝44(清田益章)
清田益章がスプーンを曲げたり、念写をしたりしても、何の役にも立たないではないかとの議論もあるので、それについても触れておこう。清田自身もそのジレンマがあったようだ。文筆家の宮内勝典との対話を収録した『サイキの海へ』の中で、清田はそのときの真情を吐露している。 スプーン曲げを始めて二、三年経って、「自分自身の中に、やっぱりスプーン曲げててもしょうがねえじゃないかっていう意識が出てきた」と、清田は言う。「なんでオレ、スプーン曲げやってるんだろうって思ったわけ。オレも、バカな頭で考えたんだけども、ただ単純になんの目的もなくてスプーン曲げやってるんだったら意味ないんじゃないかって思ったわけ。人からインチキだ、どうのこうのって言われるだけだから、そんなことを一生懸命やることはないって」 しかし清田には、自分が「スプーン曲げの人生」を選んだ理由があるように思えてならなかった。もちろん、スプーンを曲げるだけであれば、手品のほうが派手にできる。でも清田がやっているのは、手品でもインチキでもない。 では何なのか。清田がたどり着いた結論はこうだ。目に見えない力が物質に作用を及ぼすことができる。物質的な力ではない、精神の力がこのようなことを可能にするのだということを示すために、スプーンを曲げているのではないか、と。 現代の科学は物質偏重で、精神とか心とか魂とかをおざなりにしている。だが本来、科学というものは精神とか心とか魂とか言われているものを具体化する役割があるのではないか。そのことを気づかせるために、自分に超能力が発現したのではないか、と清田は考えた。 清田は大地を肉体(物質的レベル)、海を魂(精神的レベル)に譬(たと)えて言う。 「みんなね、大地から見つめて海の存在を知っているわけ。でもそのなかに入ったことがないやつらばっかりなんだよね。海と接してるということは知ってるんだけど。で、どこかで怖れてるの、溺れちゃうんじゃないかとかね。だけど、オレは、そのなかに入っていってるわけ、そういう精神という海の中に」 「オレ、ただスプーン曲げることを一生懸命言ってるわけじゃなくて、その海という存在に対して怖れをなすなっていうことで、泳いでいるわけ。そうやって泳いでいるのを見ると、安心感が持てるでしょ。みんな、口では、あいつはちょっと変わっているから泳げるんだよとか言っているけれども、じゃあちょっくら、あいつのまねしてつかってみようかって、波打ち際まで来て、ポチャポチャやりだすわけだよ」 「最初はそれでいいんだよ。どんどんどんどん、オレと一緒にやろうよって感じになれば、別にスプーン曲げることはないんだ・・・・・・泳がなくたっていいんだよ。オレにとってはね。泳がなくてもいいけれども、ただ海につかってみてね、なるほど海もこんなにいいところなんだなっていうのを感じとって欲しいなって思うんだ。だからオレはちょっと派手めに、バシャバシャ音を立てながら泳いでいるような状態なんじゃないかなっていう気がするんだよね」 (続く)=文中敬称略 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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