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白山菊理姫

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2015.03.15
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カテゴリ:歴史箱
優れた航海技術と測量土木術を持つ古代ユダヤ人の石工グループが古代の日本史に大なり小なりかかわることによって、古代日本の王たちの勢力図は大きく変わったことは、想像に難くありません。

とにかく、キリストかどうかは別にして、古代ユダヤ人とみられるサルタヒコが、各地の王たちにこれ以上日向国に対する無駄な抵抗(無意味な武力抗争)をしないよう説得し回ったと『日本書紀』には書かれているわけですから、サルタヒコは日向国に任命された「和平特使」になったのかもしれません。

でも本当はどうだったんでしょうか。
当時の情勢については、いろいろなことが考えられます。

まず考えられるは、日向族の出雲に対する奇襲攻撃成功により、日向国が優位に立っていたという見方ですね。ところが、高木神とアマテラスの相次ぐ死去とオシホミミの政界からの引退により、日向国は大混乱に陥ったと思います。足元の地盤が揺らいでしまったわけですから、出雲に侵攻するどころではありません。もしかしたら、出雲国が奇襲攻撃されたことを知った大和の王もしくは近畿王ニギハヤヒが日向国に攻め上がらないとも限りません。日向国の幼い王ではとても太刀打ちできませんよね。

記紀神話では、そこにサルタヒコが現れて、日向国側に付いてくれたと書かれているのですが、これを額面通りに受け取ることはできません。もし記紀の記述通りなら、日向国はとっくに出雲や大和に進軍して統一王朝を樹立したはずです。ところが記紀によると、日向国がようやく大和に侵攻できたのは、幼き王ニニギが成人して、子供が生まれ、その子が海人族のトヨタマビメと結婚して生まれたウカヤフキアヘズの子供の時代ですから、ニニギから三代あとのニニギのひ孫の時代です。どんなに早くても50年近くは経っている計算ですよね。

この記紀に記された「日向国の系図」が正しいかどうかはわかりませんが、少なくともニニギの王位就任からかなり時間が経ってから、ようやく「神武東征」が行われるわけです。

そのことを考えると、サルタヒコは日向国に従うように各地の王を説得したのではなくて、むしろ日向国に攻め入らないようにお願いして回ったのではないかとすら思えてきます。

でもそうなら、サルタヒコがそんなにしてまで日向国を守ろうとした理由が何であったのか探らなければなりませんね。サルタヒコは日向国に何らかの恩義を感じていたのではないでしょうか。

そこにあったのは、サルタヒコとアメノウズメとの恋物語だったのではないかと私には思えるんですね。
(続く)





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最終更新日  2015.03.17 16:17:13
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