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テーマ:歴史なんでも(784)
カテゴリ:歴史散歩
紀国(木の国)の王となったイタケル(五十猛)ことオオヤビコ(大屋彦)についても補足しておきましょう。
イタケルはスサノオの息子で、父とともに朝鮮半島などから植物の種を日本に持ってきて植えて、現在の和歌山に相当する紀伊国(紀州)に「木の国」を建国、そこの王となりました。 その際、妹のオオヤツヒメとツマツヒメも紀国にやってきました。 このイタケルがウガヤフキアエズの有力候補であることは既に説明したとおりですが、注目してほしいのは、このイタケという名前です。イタケはイタテ(射楯の神)と同一神(同一人物)とされているからです。 そう、ウガヤフキアエズの弟もしくは息子とされる武位起(タケクライオキ)ことタケイタテも「イタテ」です。 また、アメノカグヤマ(天香久山)とホヤヒメの間に生まれた息子である天村雲(アメノムラクモ)の別名もイタテ(五多底)なんですね。 つまりイタケルから世襲名が渡っていることが考えられるわけです。 ではこの世襲名を受け継いだイタテとは誰か。 何人か候補がいます。 その一人が、何と神武天皇の兄・イツセ(五十瀬)なんですね。 ナガスネヒコの弩(古代中国の弓)に射られて、敗走したので、「瀬(背)」の字を入れられていますが、イタテの「イ」をもっているでしょ。 『先代旧事本紀』を読んでも、ウガヤフキアエズの弟もしくは息子がイタテです。 何となく辻褄が合います。 そのイタテが亡くなり、ミケノも常世の国に行ってしまったので、急きょ末子サノが「ワカミケノ」となり、イツセがなるはずだった「カムヤマトイワレビコ」になったのだと私は考えています。 確か竹内氏もそのようなことを言っていました。 もしそうだとしたら、神武天皇ことサノは元々、熊野の人だったのではないかとも思えてきますね。 上賀茂神社のもう一人のご祭神として神武天皇が隠されている、隠されているのは天皇家を護るためだと竹内氏は言っていましたが、意外とこの辺りにその理由があるのかもしれません。 でも、他の可能性もあります。 カギを握るのは、イタケルの妹たちです。 この妹たちがキーパーソンとなったような気がします。 何といっても、スサノオの娘ですものね。格としてはスセリビメ級です。 この妹たちと結婚した夫、もしくはその子が「イタテ」を襲名したのだとも考えられますね。 では、一体誰と彼女たちは結婚したのか、あるいはしなかったのか。 イタケルの妹たちと、大綿津見の娘たちとの関係も気になる所。謎は深まるばかりです。 ひまわりの季節は続きます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.08.05 11:41:09
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