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テーマ:歴史なんでも(784)
カテゴリ:歴史散歩
今日の風景です。 さて、1975年夏の野球の話です。 私にとって必要だったのは、完全休養でしたが、翌(19)日も翌々(20)日も炎天下での練習となりました。 その中で本当に必要な練習がどれだけあったのかは、今でも疑問です。 休むときは休む、練習が必要なときは練習をする、でいいはずです。 練習はただやればいいというものではありません。 やたらと長時間練習をして練習をやった気でいるのは、私は今でも反対です。 むしろ愚かだと思っています。 で、私は休まなかったことによって、疲労が蓄積し、肩の負担が増したという代償を払いました。 その時はまったく気づきませんでしたが、肩が悲鳴を上げていたんですね。 一回戦に勝った三日後の21日、中二日で二回戦が一回戦と同じ昭島球場で行われました。 今回は第二試合です。相手は都立農林高校。 当時の新聞記事によると、この日の東京地方は雨が降ったりやんだりだったようです。 お昼ごろには試合が始まったと思います。 私は最初のバッターを三振に取りました。 順調な立ち上がりです。 しかし、肩に何か違和感がありました。 いつもの直球の伸びや力がまったくありません。 「ちょっと痛いな」と思いましたが、我慢できない痛さではなかったので、そのまま続投します。 そもそも私以外にピッチャーはいませんから、投げざるを得なかったわけです。 ところが、ボールを思ったところに投げられません。 四球を与えます。 すかさず盗塁され、また四球を出した気がします。 まったく三日前までとは別人になったような投球。 お辞儀をするようなボールしか投げられません。 初回に何と3点を取られます。 二回と三回にも2点ずつで、計7失点。 さらに四回と五回にも一点ずつ取られて、計9失点。 肩の違和感と闘いながら、最後は六回と七回を何とか零点に抑えましたが、散々な出来となりました。 打線も完全に抑え込まれ、2安打するのが精いっぱい。 完封され、7回9対0のコールド負けとなりました。 この試合、五番のI君が三塁打を打っていますね。 それでも点が入りませんでした。 とにかく大敗、惨敗です。 朝日新聞の戦評には、「都農林が一回の4盗塁を皮切りに計12盗塁と走りまくって、七回コールド勝ち」とだけ書かれていました。 打ち込まれた自分の不甲斐なさと、意地を張って全力投球の練習をしてしまった自分の愚かさに打ちひしがれました。 そして何よりも、肩を壊していつものように投げられなくなったことがショックでした。 (続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.03.16 18:42:21
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