オカルト人生の胎動(時代霊による示唆)
竹内文書との出合いに続く、この「羽根ライン」の“発見”は、私にとっては大きな意味がありました。いつかこのことは本に書かなければならない、あるいは書くことになっているということが、何となくわかったからです。 でもそれは、「今」ではないこともわかりました。 どうして、そのことがわかるかというと、まったく説明できる理由がありません。ただわかるのです。まったく変な話ですよね。でもオカルトというのは、そういうものなのです。 このころから、どうやら大きな霊団のような霊的なグループが人間に示唆を与えて、人間を動かしているのではないかという仮説が浮かんでくるようになりました。 それというのも、富山大学の山口教授の協力を得て、北アルプスの麓、富山県立山町にそびえるピラミッド型の尖山は、「竹内文書」に記されているように神々が宿る古代の神殿「人工的なピラミッド」であったのではないかという仮説を立てて、共同通信社が配信する記事としてまとめたところ、サンデー毎日も同様な企画を考え付いて6月から始めることが分かったからです。 あまりにもタイミングがドンピシャですよね。連絡を取り合って、この企画を考案したわけではないのに、お互い全く面識のない別々のところから、同じ企画が始まったことになります。このことから先述の仮説が生まれたわけです。つまり私の仮説では、「時代霊」ともいうべき、時代の節目節目に出現する目に見えない大きな霊的な動きがあって、奇しくもサンデー毎日と山口教授と私を動かしたのではないか、と考えるわけです。そうでなければ、この完璧な「意味のある偶然の一致」は起こり得なかった。「偶然」を演出する神様が霊団の中にいるということになります。 言ってみれば、私たちはある種の操り人形なのかもしれません。操られていることも気づかない人形さんという感じもしなくもありません。 ただし、この操られ方というのは、強制ではないですね。「示唆を与えるから、気づいた人がいたら、そのように動いてね」という感じでしょうか。そして自らの意志で気づいて、自らの意志で「操られる」わけです。この世界はそのようになっているのではないかと考えるようになりました。 (続く)