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テーマ:天声人語(22)
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ふと読んだ2月25日付A新聞の天声人語に、鷲田清一氏の文章を紹介、として、こうありました;
〔スマホの〕画面の向こうに行きっぱなしになるのか、現実の世界に「別の眼(め)をもって還(かえ)ってくるのか」を考えよ、と 〔 〕内Hannaの注 記事の主題は「デジタル断ち」「デジタルデトックス」、スマホなどを封印する体験についてでしたが、上の言葉はそのまま、デジタルならぬファンタジーの危険性/効用の本質をつくもので、思わずここに書き留めておくことにしました。 今でこそ(「ハリー・ポッター」のおかげといいましょうか)メジャーになったファンタジーというジャンルですが、一昔前は「現実逃避的」で「教育上良くない」といった批評が一般的でした。ファンタジー作家や愛好家たちはその批判に対して、ファンタジー世界を体験することで現実をよりよく見ることができる、と論じたものです; 私たちはケンタウロスや竜に出会うべきなのです。そうすればおそらく、突如として、(中略)羊や犬や馬などに--そして狼に目が開かれるでしょう。妖精物語は(中略)このような回復を可能にしてくれます。 (中略)回復とは(健康の回復と再生とを含めて)とりもどすこと--曇りのない視野をとりもどすことです。 (中略)私たちは窓をきれいにすることが必要です。そうすれば、ものがはっきりとみえ、陳腐さだの、慣れだののせいで視野がうすぎたなくぼやけている状態から解放されるのです(後略) --J.R.R.トールキン『ファンタジーの世界』猪熊葉子訳 ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』では、空想の国ファンタージエンに入りこんだ主人公が、空想力にまかせて闊歩するあまり現実世界を忘れ、ついには帝王になって永遠に空想世界を操ろうとします。バーチャルな世界はつねに危険をはらみ、たとえ空想的怪物に食われてしまうのをまぬかれたとしても、「画面の向こうに行きっぱなし」だと、果てはそのように精神をむしばまれることになりかねません。 しかし、真の探求者は危険を切り抜けて現実世界に帰還します。 ここ〔ファンタージエン〕にきた人の子たちはみなこの国でしかできない経験をして、それまでとはちがう人間になってもとの世界に帰ってゆきました。かれらはそなたたち〔空想の国の住人たち〕のまことの姿を見たゆえに目を開かれ、自分の世界や同胞もそれまでとはちがった目で見るようになりました。以前には平凡でつまらないものとばかり見えていたところに突然驚きを見、神秘を感じるようになりました。 --エンデ『はてしない物語』上田真而子ほか訳 そんなわけで、ファンタジー作品にとって、どのように異世界に行くかよりも、どうやって現実へ帰ってくるかの方が困難で重大であることはよくあります。そして、やっと戻ってきた現実は、一見以前と変わりない日常でありながら、主人公の目には非常に新鮮に、貴重に見えるようになります。あるいは、バーチャル世界で(おもに精神が)非常に危険な目にあった場合、戻ってきた現実にその害が形を変えて現れてしまうというケースもあるようで、これについて詳しくはこちらをどうぞ。 とりあえず、昨今のファンタジーの隆盛は、デジタルでバーチャルな世界に、万人が手軽に入りこめるようになったことと、良かれ悪しかれ無縁ではなさそうです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
February 27, 2016 12:58:13 AM
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