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HANNAのファンタジー気分

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December 25, 2020
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金曜ロードショーでとうとう『風の谷のナウシカ』(映画版)がまた放映されたのにあやかって、以前の日記のさらに続きです。
 管理社会から逸脱したミュー(突然変異)たちは宇宙をさすらい悪戦苦闘しながら自力で生き抜き(竹宮恵子『地球へ』)、コミックス版のナウシカは、祖先が設定した清浄無垢な未来を拒んで打ち壊します。祖先の幻影はナウシカを「危険な闇」と呼び「生命は光」でなくてはならないと主張しますが、

  ちがう /いのちは /闇の中の /またたく光だ!!

  すべては /闇から生まれ /闇に帰る   ーー宮崎駿『風の谷のナウシカ』第7巻

 ここに、古典的な西洋(キリスト教)風ファンタジーの善悪二元論とは異なる世界観があります。西洋風の古典的物語なら、主人公は善なる光の側で、悪=闇を滅ぼすために、光=善なる至上神の教えに従い、精進する。
 ところが、日本のファンタジーには昔?から、そうでないパターンのものが多いのです。たとえば1976年に『ぽっぺん先生と笑うカモメ号』(舟崎克彦)の魔王ルシフェルは、悪役ながら、気になることを言っています;

  すべての生命は夜の闇と闇の美しさのなかでつくられるのだ。

 ナウシカと同じセリフですね。またルシフェルは、人間の欲望をかなえるのが悪魔だ、として、

  おれたち〔悪魔〕が人間の心から逃げ出したら・・・〔中略〕おれたちが滅ぶとしたら、そのときは人間の自由も滅ぶのさ!!

 欲望、つまり「~したい」という自由な発想こそ、文明を進歩させてきたという考え方もあります。

 キリスト教ではこの人間の「自由意志」の扱いは微妙な感じで、ミルトンの『失楽園』などを読むと、神さまはアダムに神への服従を求めるのですが、それは自由意志での服従であって、そうすると報いてくれる。一方、イブが禁断の木の実を食べる(=神に背く)のも彼女の自由。ただし、楽園からは出て行く羽目になる。これでいくと、従順な人間は神さまにいいようにごまかされてないか?という疑問が出てきたりして、反抗したくなる…それは、旧人類の残した緑の田園の実験場に、ナウシカが疑いを持ち背を向けるのと共通です。

 結局、与えられたものに満足しないのが人間のさがで、それこそが人間らしさなのだとしたら、自然に背き、背いた結果に自らおののくことがあっても、ナウシカが言うように、「血をはきながら」前進するしかないのでしょうか。
 そう決めたナウシカの潔さを我々は学ぶべきでしょうか。それとも、ナウシカが一人心にしまいこんだ罪の意識を共有して、考えこむべきでしょうか。たぶん、どちらも必要なのでしょうね。





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Last updated  December 26, 2020 12:27:44 AM
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