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HANNAのファンタジー気分

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October 12, 2023
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 キャッチコピーいわく「“冒険の終わり”から始まる…後日譚ファンタジー」。タイトルも印象的ですね、『葬送のフリーレン』。私ははじめ、クエストで犠牲者が出て弔いをしたり、遺品を故郷に届けたりする話、かと思いました。いや、違います!
 過去の冒険のメンバーの一人、長命で不老のエルフが、仲間たちが年老いて死んだりした後で、昔日の魔王討伐の探索行を辿り直すというストーリー。後日譚である点がこの物語を白眉にしていると言われてますが、なぜそもそも後日譚がメインなんでしょう。

 読み進むとすぐわかるのは、魔王討伐から80年経って、魔王の部下(七崩賢)が復活してきている。魔王をやっつけて世界平和!と思ったけれど、それはしばらくの間しか続かなかったわけです。

  敗北とそれに続く小休止の後、影は必ず別の形をとって、ふたたび勢いを盛り返す
            ―――トールキン『指輪物語 旅の仲間』よりガンダルフの言葉

 悪が復活して再び不幸や争いが生じるなら、「勇者」も再び探索や戦いをせねばならない。その中で、以前の体験が思い出されたり蒸し返されたり、再発見されたりします。よく考えると、歴史ってそうやって繰り返されていくんですよね。

 だからこれ、シリーズ物やファンタジーでは定番。前日譚/過去編/エピソード0、後日譚/続編/○○の逆襲…、冒険・探索物語には、背景に善悪対立の歴史がつきものです。どの物語も、以前の出来事から見れば後日譚であり、後の出来事から見れば前日譚。「スターウォーズ」を思うとよくわかりますね。シリーズを通して、善と悪とがシーソーゲームのように隆盛し敗北し復活し逆襲する。

 とすると『葬送のフリーレン』の特徴はただの後日譚ではなく、長命なフリーレンが過去の冒険を振り返りつつ新たなメンバーとともに後日譚の冒険でも活躍すること、とも言えそうです。
 でも二度目のクエストというのも実は珍しくはなくて、たとえば古英語の叙事詩「ベーオウルフ」のヒーローは若い頃に怪物退治を行い、年老いてから竜と戦う二部構成で、年齢による前半後半の違いが対比されます。
 『ホビットの冒険』・『指輪物語』も、指輪をめぐるクエストとしては、60~70年を経て繰り返されます。最初の主人公ビルボは老いて甥フロドに主人公と指輪とを譲りますが、フロドはビルボの足跡を追うように旅を始めますから、フリーレンの二度目の旅と少し似ています。
 また、どちらにも参加するガンダルフは、長命・不老(初見から老人ですが)でそれゆえに知識・経験・胆力どれをとってもピカイチの魔法使いという点でもフリーレンと似ています。

 ただ、最初から人々のよき理解者だったガンダルフとは違って、フリーレンは、冒険によって「変わり」ました。長命ゆえに人間たちの生き様を理解しようとせず、部外者づらをして何事にもさめていた彼女が、勇者ヒンメルが老いて死んだとき、突然感情があふれて涙を見せます;

  「…だって私、/この人の事/何も知らないし…
  …なんでもっと/知ろうと/思わなかったんだろう…」
                       ――山田鐘人・アベツカサ『葬送のフリーレン』

 ここで私は古いコミックスを思い出したんですけど、

  「どうして/もっと知ろうと/しなかったんだろう
   わたし/あの人を/好きだった」  ――小椋冬美『リップスティック・グラフィティ』

 これは女子高生の心の叫びで、「あの人」とは、恋人未満で別れてしまった学校の先輩。予期せぬ涙が急にあふれる、とても初々しい、思春期の少女の姿です。・・・フリーレンとそっくりな表情とセリフ…フリーレンてば、外見もそうだけど精神的にもJKレベル? もちろん、エルフですから人間の基準で判断してはいけないんですけど。
 そのあと、回想シーンなどから、ヒンメルは冒険の日々にフリーレンを好きになり、時々アプローチを試みていたらしいことが、読者には分かってきます。しかしフリーレンは彼の言動に注意を払わず、彼が老死した時点でも彼の気持ちを理解していないのです。「わたしあの人が好きだった」という気づきもないとは、人間の基準にてらすとJKより未熟だといえましょう。弟子フェルン(16歳)から「にぶい」と言われ、そこそこオジサンのザインからも「ガキ」扱いです。
 性懲りもなくミミックな宝箱に頭をつっこむところ、寝相の悪いところ、頭をなでられたりなでたりするところ、みんな子供の仕草や特徴ですね。それが、千歳をこえるエルフらしい達観した態度と共存して、おかしなギャップ(と魅力)をかもしだしているようです。
 達観している時のフリーレンは自分でも「だらだら生きていた」と言ってますが、精神的に何百年も子供だったことを、成長し始めた時点から振り返ると、さぞかし単調な日々だったと自覚することでしょうね。

 10年間の冒険では短すぎ、メンバーが老死して初めて精神的成長を始めたフリーレン。後日譚は、フリーレンの成長物語としてもみることができそうです。

 核家族とかSNSの普及とかコロナ等々により、最近の人々は対面のコミュニケーションが不足がちで、人間関係も希薄になりがちと言われます。他人との距離の取り方がわからない、空気が読めない、邪魔(足手まとい)だから友人(弟子)は要らない、これってフリーレンだけでなく現代人にありがちな心の状態でもあるようです。
 およそ1000年も孤独な精神的引きこもりだったフリーレン。後日譚にしてようやく、歩み始めたわけですね。コロナが終わってようやく、人との関わりを構築し始める若い人々のように。

 孤独ということは、フリーレン以外の勇者メンバーにも、わりと当てはまっています。
 冒頭シーンで、王都へ向かうヒンメルたちの周りに誰もいません。王都にはすでに彼らの凱旋が知らされているのに、勇者一行を迎えに誰も来ていませんし、途中の道連れとか、近郊農民が喜んで寄ってくるとか、そういった描写がない(わざと省かれている?)。
 王都ではパレードや祝祭がありますが、やっぱり誰も彼らと親しく交わりません。王様からはねぎらいの言葉をもらいましたが、賓客となって高官たちと会話したり、宴につらなったりもしていません。ヒンメルたちは祝祭のすみっこで、自分たちだけで飲み食いし語り合っているだけ。人々は彼らに群がるでもなく、冒険譚を聞くでもなく、彼らのことはそっちのけで楽しんでいます。だから、凱旋場面はなんだか寂しい。
 ヒンメルはもともと王都の人らしいのに、家族とか親戚とか友達とかが迎えてくれなかったのか? そして50年後、彼の家をフリーレンが訪ねますが、彼は独居老人ですね。お葬式には人々が集まっていますが、特に親しい人は一人も出てきません。50年経ってもヒンメルの交友関係は、勇者仲間だけだったんでしょうか。
 ハイターもしかり、晩年には孤児フェルンだけが家に居て、周りには誰もいなかった模様。隠居したといっても、聖都から偉い人とか後輩司祭が訪ねてきたりしないんでしょうか。
 アイゼンも、魔族に一族を殺された生き残りなので最初はひとりぼっちだったでしょうが、50年後も(シュタルクが弟子だった以外)やっぱり家族もご近所さんも出てきません。
 オーソドックスな物語なら、ヒーローが冒険を終えた後は、生涯の伴侶を得て家族が増えたり、旅先で心を分かち合う友が増えたりして、交友関係が充実すると思うのに、この物語では、みんな孤独な人生のようです。
 「ハリー・ポッター」の後日譚のように、主人公がハリーの子供に引き継がれたりしないんですねえ(ただしハリー・ポッターも仲間内だけでやたら結婚してて交友関係が広がってないですが)。

 もちろん、詳しく描かれていないだけで、実際には知人友人いてもいいけれど、それは重視されず省かれているんでしょうね。家族だの仲間だの大勢の絆で盛り上がるというのは、今の時代に合わないのでしょうか。そういう意味では、「葬送のフリーレン」は、中世風異世界ファンタジーなのに現実の今の時代を反映した特異な作品だと思います。

 ストーリーは続いていて、少しずつ人間関係、交友関係も広がったり深まったりしていくようです。これからも楽しみですけど、HANNA的には、魔法の資格選抜試験のあたりがちょっと億劫で中だるみしてしまいました(学校とか試験とかトーナメントとかの話って、好きでないのです)





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Last updated  December 17, 2023 12:03:29 AM
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