|
カテゴリ:見仏(けんぶつ)
こんにちは!今日は雲ひとつないいい天気です。 こんな日は気分もすっきり!いーぴんです。 この日も雲ひとつないいい天気でした。 那智の滝から海岸線に10分程走ると補陀洛山寺があります。 ”補陀洛渡海の寺”とありますが、南方の補陀洛世界という観音浄土を目指して僅かな食 料を積んで小船に乗り渡海をするという宗教行為です。 間違いなく死んじゃうんですが。。 今はもちろんそういう行為は行われていませんが、補陀洛信仰の総本山のお寺です。
井上靖さんの「補陀洛渡海記」という短編集に、補陀洛渡海をしなければならなくなった 住職の葛藤がえがかれています。同じ信仰の中でも多様な捉え方があるということが良く わかる作品です。 山門を入ってすぐに梅があります。 梅の枝は直線的ですね。 繊細さがありながら、凛とした意思を感じるので好きです。 境内には補陀洛渡海に使用された小船を再現したものが展示されています。 真ん中に屋根がついた船室のようなものがありますが、これには入り口がありません。 渡海上人がこの中に入って外から釘で打ちつけて出られないようにしたようです。 あ~逃げられない・・・・。。。。 さて、本堂には秘仏三貌十一面千手千眼観音像が祀られています。 厨子の前に御前立ちがわりに写真パネルが置かれています。 実はこの日の一週間前が開帳日で。 どちらにしようかと思っていたのですが、青岸渡寺の如意輪観音を見たかったので この日にしたのでした。。。こんなことなら、一週間前にしとけば。。。な~んて 本堂を拝観し終わり、裏山に平維盛(たいらのこれもり)の塔があるというので行ってみま した。維盛は清盛の嫡孫なのですが、実は平家滅亡の瞬間には立ち会っていません。 一の谷の合戦後、離脱して高野山で出家。後那智で入水ということになっています。 はてさて。なにがあったのか・・・。 ま、平家とはいえ、維盛くらいになると武士じゃなく公家ですからね。。 富士川の合戦で鳥が飛び立つ音にビビッて逃げ帰ったというほどですから、大将の器で はなかったのかも知れませんね。 そのかわりというか、後白河法皇のまえで「青海波」を舞って桜梅少将という名前をいた だいたということですから、公家としての才能はあったようです。 補陀洛山寺を出て那智の浜に寄ってみる。 ここから補陀洛渡海が行われていたのですねぇ。。維盛はここに来て何を思ったか。。 那智の浜の海は透き通ってきれいでした。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[見仏(けんぶつ)] カテゴリの最新記事
|