9月2日の日経別刷りマガジンで読んだ。
このひとの真性の「ねばりづよさ」には参った。 センスのいいバッグなどをつくる工場をこともあろうに バングラデシュ で足で探して、「失敗」しても探し直し、作り直しを繰り返して、そして日本でも販路を開拓し、さらに直営店まで立ち上げる。 26歳の山口絵里子さんである。 バングラデシュでの「失敗」というのがまた、ぐっとくる。 趣旨に賛同するバングラデシュ人の工場長に苦労の末でめぐり合いいったんは製造を始めたが、工場でパスポートを盗まれたところから亀裂が走りはじめ、やがて決別。 そもそも商社マンの飲み会で貧困国の代表として悲惨話に花が咲くあのバングラデシュを製造地に択んだところがすごいが、 とにかく山口さんは決別してもあきらめなかった。 小さな工場を見つけなおした。 ≪そこへ政治暴動が起きた。工場に近づけない。 ようやく訪れると、もぬけの殻になっていた。 人も、デザイン画も、渡しておいた材料も消えた。 力が抜け、何日間か安宿で動けなくなった。 「何のため、誰のためにこんなに苦労しているんだろう、と思えて」涙が出た。≫ あぁ、ここで俺なら呪いのことばを発して完全にバングラデシュを捨てていたろう。 カタカナの「バ」を見ただけで毛が逆立ったろう。 でも神さまが導かれたか。 そのあと、≪デザイン業界に長く身を置き、貿易実務に詳しく、デザイナー養成学校も経営する≫ 33歳のアティフ・ラシッドさんと本格的にタイアップして事業が軌道にのる。 けっきょく「ふさわしいパートナーとタイアップする」という、海外事業の王道に至ることで花開いた。 人間だれしも瞬間瞬間を、膨大なものに「見切り」をつけながら生きている。 いかに的確、効率的に「見切り」をつけてゆくかが、リズム感をもって人生をゆく秘訣といってもいい。 山口絵里子さんだって、米国ワシントンDCの米州開発銀行の殿様感覚に違和感を感じて、いったんはあこがれた国際機関の世界に「見切り」をつける。 この「見切り」こそ、なかなかできることではない。 だから「見切り」ができないひとではないのだが、 それでもバングラデシュに「見切り」をつけなかったパワーはどこから来たのだろう。 慶応大学で開発経済を学んだというひとだから、語学と知性のベースはあって、かつ自分でデザイン画もかくほどのセンスもあった。 それら全てを生かす「勘」と「ねばり」、そして「運」に恵まれたのだろうけど、 記事には書かれていない、家族の精神的な支えもあったのではないか。 気になるひとである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Sep 4, 2007 08:27:17 AM
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