世間で「国際連合」と呼ばれているものを、当ブログや配信コラムではあえて「連合国組織」と呼んでいる。
The International Union ではなく the United Nations にすぎないのに「国際」の文字に幻惑される向きがあるからだ。 名は体を表す(なは たいを あらわす)だから、用語のわがままができる私的空間では泉用語に固執する。 「北朝鮮」のことをわたしが「朝鮮国」と呼ぶのも、そう。「南朝鮮」がないのになぜ「北朝鮮」だ。 「北朝鮮」などという用語を使っていると、 「<北>だけでいるのは暫定的なかたちであって、<南>と統一されてはじめて正しい姿になる」 という観念におのずと脳が支配される。 「朝鮮民主主義人民共和国」のどこに「北」の文字があるか。略せば「朝鮮」だ。 ただし韓国をふくむ地理概念の「朝鮮」と区別するために「朝鮮国」と呼ぶ。わたしが配信コラムを書きはじめるときに、いろいろ考えて決めた方針だ。 で、いわゆる「うちの家内」の呼び方ですけどね、いろいろ考えた末に以後「わたしの女」と呼ぶことに決めた。 ドイツ語の meine Frau やフランス語の ma femme の直訳ですね。 ドイツ語・フランス語ではまぎれもなく「わたしの妻」の意味ですが。 英語で my woman というときのゾクッとした感じが「わたしの女」にはありますね。 「ぼくの女」との微妙なちがい。 ちょっとあらたまった「わたし」でなければならない。 「ぼく」に比べて「わたし」には、社会的責任のにおいがある。 「わたしの女」は、ぼくが社会に向かって「これがぼくの女だ」と宣言する対象としての女だ。 そして「わたしの女」はセクシー。 「うちの家内」にない潤いときらめきがあるね。 「わたしの妻」ないし「妻」と呼べばいいじゃないか ? 平凡表現で、気恥ずかしいだけだよ。 一時期、「同居中の女性」という言い方をしてみたのだけど、なんか前の奥さんと離婚して別の女性と同棲してますと宣言しているみたいで、やっぱマズイと思ったのよね。 いっぽう、当ブログの映画評でよく登場してくれる「ぼくのだいじなアシスタント」。 勤務先のひとと思っているひとがいるけど、そうじゃないよ。もちろん、親族でもない。 もし勤務先にいたらすてきだろうし、親族だったらと思うときもあるけど、どちらでもないからよかったんだ。 恋することを思い出させてくれたひとだね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Nov 29, 2007 08:22:29 AM
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