7月19日の「読者の集い」。
企画を立てたときには、レクチャーや出し物の準備がこれほど大変なことだとは想像していなかったし、7月の炎天にも思いが至りませんでした。 でも、集いができて、ほんとによかった。 大げさに言えば 「思い残すこと」 (bucket list) が、またひとつ減った。 アンケート結果も含めた第1報を7月22日配信のコラム 「本能に従って生きれば、時間ができる」 に書きました。 きょうは、参加者コメントをご紹介します。 会のあといただいた長文のメールから ―― ≪本日は、大変お疲れ様でした。泉さんのお人柄の表れた、楽しい会でした。 香坂夏希さんのフレッシュさが、奥深い泉さんワールドに良い刺激を与えていました。 人選の妙です。 女優さんは、舞台の上でなくても人前に出ればやはり一味違うのですね。 アンケートを書く時間があまり無く、改めて感想を書かせていただきます。 第1部 「英語のキモは句動詞だ」 句動詞、とくにきょう紹介されたような多様な意味をもった語句は、私が専門としている科学英語では極力避けられており、普段はあまり接することがありません。 例として引かれていた expand on our salary も、おそらく咄嗟には理解できないと思います。 個々の単語のおおもとの意味をしっかり理解していれば、意味が分かってくるというところ、興味深く思いました。 読んだり聞いたりする句動詞はそのようにして意味推測が可能ですが、それを自ら発するとなると、やはり、覚えていなければなりません。 しかし、いざ使うときになると、辞書で項目の最後の方に載っている意味でほんとに相手が理解してくれるのかどうか、非常に不安になり、結局そういう表現は避けてしまいます。 用法、用例を含め、英語に接する量・時間が必要なのかもしれません。 第3部の「フリートーク」で、泉さんが 「他言語を習得するときには、別人格になる」 とおっしゃっていましたが、 (私は英語と日本語しか操れませんが) 全く同感です。 言語は、文化背景まで背負っているので、完全に別人格になってしまえばもっと楽なのでしょうが、どうしても日本人としての自分がブレーキをかけます。 例えば、留学中、ボスをファーストネームで呼ぶことはやはり抵抗がありました。 今の職場では、同僚でさえ、○○先生、ですから。≫ 仕事で会う人にファーストネームで呼びかけるというのは、わたしも米国出張が2ヶ月目に入ったころ、やっとできるようになりました。 最初は、Yukio と呼ばれたりすると、 「あのねぇ…… <ユキオ> とオレのことを呼べるのは、両親、おじ・おばですけどね」 そんな抵抗感が、ふつふつと起こったものでした。 どうも、この種の抵抗感は日本人のあいだで普遍的なようで、海外駐在員でさえ John や Mary のことを John! Mary! と呼べずに、 John san Mary san と呼んだり、ひどいのになると Mr. John san なんていう、とんでもない言い方をする御仁も (ぞっとする……)。 わたしは、そういうブザマな英語は止めろと、職場で警鐘を鳴らしています。 ファーストネームで人に呼びかけるなら、 John! Mary! と、すぱっと呼ぶべし。 いっぽう、日本人と付き合いの多い non-Japanese たちは、そんなわけで、 Yukio でも Mr. Izumi でもなく 英語の会話や手紙文のなかでさえ Izumi san ないし Izumi-san というふうに日本人に呼びかけることが多いですね。 おっと、また得意の脱線……。 いただいた参加者コメントの続きは、また明日! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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