前回のブログ で途中になってしまった参加者コメントから――
≪東南アジアの人たちの国民性のお話は、目からウロコでした。 その国の言葉を操ろうとすれば、こちらもそのような国民性の別人格を身につけた方が早いのでしょうね。 これこそが、郷に入っては郷に従えということなのでしょうか。≫ 集いの第3部で、中国進出工場の東南アジア移転についてのコメントを求められたとき、こんなことを喋りました。 「リスク分散がだいじなので、怒濤のような中国進出はさんざ批判してきましたが、働き手の勤勉さの一点を見れば、中国人にポイントを上げたいところもある。 東南アジアはですね……、豊か、なんですよ。 俗な言い方すれば、庭にバナナを植えておけばとりあえず生きていけると達観できるところがある。 生きる糧に困れば、新たに開墾して水田を増やせばいい…… そんな達観が心にあると、追い詰められてストレスにさいなまれながら仕事するのがバカらしくなるわけですよ。 中国の場合、そういう意味の豊かさがない。清朝(しんちょう)には国土を開発しつくした。 だから、追い詰められても働かざるをえない。」 まあ、タイ語を勉強したときは、そこまでタイ人化したわけではありませんが。 ≪辞書の選択については全く同感です。 私自身は、受験生当時 (20年前) 小学館の Progressive 英和中辞典と 旺文社の Comprehensive 英和中辞典を使用しておりました。 ともに例文は豊富でしたが、たしかに字は小さかったです。若かったから耐えられたのかもしれません。≫ これは第1部の最後で話した、辞書の選び方の話についてですね。 学習用には、「見出し語の数」よりも「字の見やすさ・読みやすさ」と「例文の面白さ」 を優先すべき。 5行読み進むのが苦痛になるような辞書ではダメです。 ≪第2部の、詩の朗読。こちらは、普段まったく接することのない世界で、感性を刺激されました。 私が最も好きだったのは、吉野 弘さんの 「夕焼け」 です。 詩が書かれた昭和34年でも、列車の車内はすでにそんな感じだったのですかね。 現在のつくばエクスプレスでは、席を譲ったおばあさんは必ず別れ際に御礼をされます。 妊婦さんは5分5分ですが。 詩は、歌った方がこころに響いてくることがあるのですね。 大事なところをしっかり盛り上げてくれます。 オクジャワの歌も素敵でした。≫ ありがとうございます。次のイベントでは、ある楽器も使うことにします。 ≪紹介されたエスペラントの詩は、1行おきに韻を踏んでいるのですね。 一行おきというのは、読んだときには分かるのですが、いざ聞いてみると分かりにくかったのですが、そういうものですか? 泉さんの苦労の末の和訳の韻、文字ではきれいに見えるのですが、耳で聞いたときには、苦労が報われてないのかも、と思ってしまいました。≫ 韻を楽しむのは、あるていど 「慣れ」 が必要です。 慣れると、耳が韻を求めるようになってきます。 ≪第3部のフリートークでは、期せずして、私の質問を最初に取り上げていただきました。 普段は、朝食でしか家族と接することができず、夜は終電ぎりぎりまで実験と学生の指導という毎日で、泉さんや渡辺さん、伊勢さんの配信誌で息抜きと刺激を受けているのがやっとの生活です。 しかし、これも自分の本能に従った行動であるような気もします。 苦痛というわけではないのですが、家族のことを考えると、これでいいのかな? と思うこともあります。 そんなわけで、泉さんや香坂さんなど、自分と違う世界で暮らす方々の生活はどんななのかなと興味があった次第です。 そういう意味では、異業種の方々が集まりますので、次回は会の後に懇親会があったらもっと突っ込んでお話が 聞けるかなとも思いました。 また、他の方々の質問に対するレスも楽しみにしています。≫ わたしも、会が終わったあと、せっかく来てくださったいろいろなかたと結局あまりお話せず仕舞いだったことに気がついて愕然としました。 今回は、ギャラを払ってゲストを呼んだこともあって、会の規模を追求しすぎたかもしれません。 小さな交流会であってもいいのかもしれません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Jul 26, 2008 06:59:47 PM
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