幾多の咎(とが)をも歴史に残した英国民だけれど、アダム・スミス、チャールズ・ダーウィンのような立派な学者を、空の星々ほども生み出した英国の本領に打たれる。
中公新書の 『アダム・スミス 「道徳感情論」と「国富論」の世界』 (堂目卓生・著) をもうすぐ読み終える。 世の中の仕組みを、「摂理」 とか 「良心」 といった便利なキーワードに頼らずに腑分けしてゆく、丁寧な仕事をしたアダム・スミス。 市場社会が、まず自己愛に支えられ、そしてフェアプレイを受け入れる正義感に支えられていること。 そして、ものを交換しひとを説得しようとする人間の情動に支えられていて、それらの感情がつまるところ、他人のさまざまな感情を自分の心の中に写し取ろうとする 「同感」 の能力から来ること。 アダム・スミスの思考を追ってゆくと、共産主義と対極にある人間性への信頼を回復することができる。 チャールズ・ダーウィンは、生誕200周年、『進化論』 出版150周年ということで今年はさまざまな本が出ている。 そのうちの1冊、Darwin’s Sacred Cause: How a Hatred of Slavery Shaped Darwin’s Views on Human Evolution (「ダーウィンの大義 : 奴隷制を憎んだがゆえのダーウィンの人類進化論」 Adrian Desmond, James Moore著、Houghton Mifflin Harcourt 刊) の 書評 を読んで、 「そういうことだったか……」。 ふたりの伝記作家の主張によれば、轟々たる非難の嵐のなかでダーウィンが進化論を掲げつづけたのは、彼が奴隷制を何とかして止めさせたかったからだと。 19世紀半ば、つまり江戸時代末期だが、当時一流の学者らは 「人間というのは、いくつかの種(しゅ)から成り立っている」 と考えていたのだという。 たとえば当時尊敬を集めていたハーヴァード大学の学者 Louis Agassiz は、「人類とは、8つの種(しゅ)から成る」 と考えていた。 「2つの種」説から 「63の種」説まで、さまざまな説があったが、いずれにせよ白人と黒人はそもそも生物として別の種(しゅ)なのだ、というのが当時の知的世界の常識だったというのだ。 生物として異なる種なのだから、アフリカ黒人に白人と同等の権利を与える必要はない、人間扱いせずに奴隷として使っても神の教えに反しない、という論理になる。 この常識を打破するために、「人類はすべて猿から進化した同一の種(しゅ)である」 と主張したのがダーウィンだ、ということらしい。 てっきり、進化論によって 「白人は黒人よりさらに進化した存在であるから、黒人を奴隷に使ってもよい」 という論理展開になるのかと思っていたが、当時はまず 「白人も黒人も同根だ。同じ穴の産物だ」 というところから説き起こす必要があった。 こういうふうにして時代の空気を知ることが、歴史を学ぶということなのだろう。 ダーウィンの著作を読んでみたくなった。いや、やはり水先案内人の書いた本から読むべきだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Feb 21, 2009 01:40:15 PM
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