報道人から
「政界に人材がいない」
と、ぼやきを聞くと虫唾(むしず)がはしることもある。
報道人こそ、若い論客を発掘し議論を世に伝え、政界の人材を育てる一翼を担うべきではないか。
報道が爺さんたちを追いすぎるから、政治がつまらなくなる。
人生50年の苦節を経て国会議員に初めて当選しても、メディアは 「チルドレン」 扱いだ。
当選したての議員を政党内部で指導部が新人扱いするのは仕方ないかもしれないが、いやしくも国民の代表を 「こども」 扱いする権利が報道人にあるか。
失礼きわまりない。
だから、「小泉チルドレン」 などと、いけしゃぁしゃぁと言う御仁があれば、直ちにチャンネルを換える。
「小泉チルドレン」の用語を使う報道記事は読まない。
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選挙の洗礼をうけるひとを 「世襲議員」 呼ばわりするのも失礼だ。
「二世議員」 なら許せる。
「二世」 「三世」 の議員でないと政界の要職に就くのが難しい。
それは、若いときから当選を重ね、50代にもなれば4~5回以上も当選回数を確保していないと、次のステップへ飛躍できないからだ。
若いときから当選を重ねることができるのは、親の地盤を引き継げるひとだけだろう。
当選回数による年功序列への批判の典型は
「大臣人事は適材適所で」
というものだが、けっきょく世の中は、数で動く。
カネ然り、当選回数然り。
米国で、州知事が大統領への登竜門になっているのが参考になる。
県知事経験を国会議員当選4回に換算し、政令指定都市市長の経験を国会議員当選2回、その他の県庁所在地の市長経験を国会議員当選1回に換算することにすれば、政界人事は俄然おもしろくなる。
県知事を2期経験したあと国会議員になれば、国会議員当選9回目のひとに換算することにするわけだ。
堂々と首相候補だ。
県知事を1期経験したあと国会議員になれば、当選5回目に換算だから、堂々と大臣候補だ。
目下の制度(?)でいくと、県知事をつとめたあと国会議員に転身しても 「チルドレン」 扱いだから、バカらしくなって大学教授の道を選ぶのだ。