村上 龍さんが編集長をつとめる配信誌
Japan Mail Media は、わたしも受信している。
朝日新聞的な冷泉彰彦氏のエッセーは数回読んで辟易し、以後 受信即削除。
オランダ在住の春具
(はる・えれ)さんの随筆や アン・ヨンヒさんの韓国レポートはおもしろい。
JMMという発展的企画を立ち上げる村上 龍氏の進取の精神は、立派と論評するのがフェアだろう。
もっとも、村上龍さんご自身の文章がわたしは大嫌いだ。
何を読んでも、村上さんの内面の卑屈なコンプレックス臭が立ち上ってくるから。
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きょう午後、勤務先のテレビにニュースとして
「村上龍氏が、政権交代は日本人が大人になった証し とNYタイムズ紙に寄稿」
というテロップが流れた。
へぇ、村上 龍さんって、そこまでバカだったっけ?
と思って、ニューヨーク・タイムズ紙に掲載の
Japan Comes of Age by Ryu Murakami を読んだら、そもそもテロップが間違っていた。
村上さんの趣旨は、
「政権交代においてもシラケきっている日本人のあり方こそが <オトナ> の証しだ。
政府が問題を解決してくれる、などと考えなくなったのだから。
このテの鬱は、子供がオトナになるとき必ず経験することだ」
わたしに言わせれば、村上 龍さんごときに、訳知り顔で日本国民全体をとらえて
「ようやくオトナになりましたな、ハハハ」
みたいなことを言われるのが苦々しくもあり、片腹痛くもある。
卑屈なコンプレックスは、その反動から傲慢な飛翔を試みる。