サーカスといえばシルク・ドゥ・ソレイユ、という時代だろうか。
いや、サーカスという単語じたいが死語かもしれない。 シルク・ドゥ・ソレイユの 「シルク」 とはサーカスのことだが。 小学3年生のころ、松山にもキグレサーカスが来た。行ってみたかったが、親に言い出せる雰囲気ではなかった。 木下サーカスには幼稚園のころ一度連れて行ってもらった。道後公園にテントを張っていた。 51歳になっても覚えているくらいだから、印象深かったのだ。キグレサーカスにも連れて行ってもらいたかった。 といって、それではうちの娘たちをシルク・ドゥ・ソレイユに連れて行っているかというと、それはもちろん連れて行ったのだけど、親が期待するほどには今どきの子供は喜びを表わさないのだよ。すばらしいパフォーマンスだったのに。 ぼくらが子供のとき、同じ状況がそこにあったら狂喜してたに違いないと思うのにね。 何でこんなに白けてるんだよ、このバカものが! と思ったが最後だね。たしかそれから、家族で物見に出かけたことはないよ。 ご存知のとおり、父さんだけは演劇狂いさ。 さて、キグレサーカスが倒産したんだって。悲しいよ。 報道によると、先月9月末に35人全員を解雇し、10月19日づけで事業を停止したのだそうだ。負債総額は5億8000万円。 何でこれを知ったかといえば、北國新聞のコラムで読んだのさ。悲しいよ。 北國新聞 平成22年10月25日 コラム 「時鐘」 ≪キグレサーカスが事業を停止した記事があった。戦前設立された日本3大サーカスのひとつで北陸の興行も多かったから思い出す人もいるだろう。 都市型テーマパークが人気である。 レジャーの多様化に加え、新型インフルエンザの流行でサーカスの入場者が激減、とうとうテントをたたむという。 演芸、風俗、大衆娯楽史の節目を刻むニュースである。 30年ほど前に 「キグレ村」 を取材したことがある。 親子代々の団員、押しかけ入団した若者、歌劇団出身の美女や芸大出の女性ピエロもいた。 団長は言った。 「役者に文化勲章が出るのに、われわれになぜ出ない」 今年の泉鏡花賞を受ける篠田正浩さんの 「川原者ノススメ」 (幻戯書房) は、歌舞伎をはじめ日本の芸能が都市の川原から始まる歴史を描き 「川原になぜ大群衆が参集するのか」 を追究した労作である。 キグレの団長は、サーカスも歌舞伎も原点は同じだと胸を張るのだった。 子どものころに見た神社境内の巨大なサーカステント跡は、大人になって見るとあまりに狭い。 幻のような空間に 「サーカスは文化だ!」 と叫んだ団長の姿が浮かぶのである。 ≫ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Oct 26, 2010 12:28:03 AM
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