パスポートを見ると、今年 (平成22年) は海外へ2度しか行っていない。フィリピンの事業投資先の会議でマニラへ。
ぼくが売り子として商社の主担当をした、思い入れの深い大型ガスタービン発電所。 ルソン島南方の海底から出る天然ガスを焚いて最新鋭技術のガスタービンを回し120万キロワットの電力をルソン島の電力網に供給する。フィリピン経済への貢献は大きい。 融資組成からプラント建設 (平成11年3月開始)、協業した米国企業破産の対応、運転開始 (平成14年6月) 後の完工遅延賠償金交渉まで、商社マンとして多様な経験をさせてもらった。 いま振り返ると、感謝の思いがこみ上げる。 わが勤務先は、韓国電力公社とともにプラント建設と事業投資の両面から参画している。日本・韓国・フィリピン・米国を結ぶ画期的な案件で、靖國神社の英霊にも胸を張ってご報告できる。 プロジェクト成立は、日本経済新聞の1面の第2ニュースに扱われるくらいの価値があったのだが、共同出資した九州の会社が地元ニュースとして先にリークしてしまった。一般紙の、たかが地方ニュースとして大きな記事にされてしまった。 おかげで、正式にプレス発表したとき、日経は企業面のベタ記事として10行ほど書いただけだった。 広報対応をしくじった。念のために言っておくが、ぼくの書きものに日経批判が多いのはこれが原因ではない。 平成15年にプロジェクトが隣りの事業投資部へ全面移管され担当から外れたが、その後ぼく自身が事業投資のほうへ移り、平成20年に再び担当することになった。(といっても、手を動かす仕事は後輩社員がやってくれる状態で、ラクだった…。) 5年ほどの間に、関係する各企業の面々はそっくり入れ替わっていた。プロジェクトは、確実に継承された。 今年 (平成22年) 5月に小さな組織替えがあり、ぼくはこのプロジェクトの担当から外れた。 うれしかったのは、組織替えに伴ってマニラ支店の現地社員 Dennis Villasper 君がわが社の代表のひとりとして事業投資先の役員に加わったことだ。 プロジェクトに関わり始めた平成10年頃の上司 (マニラ支店にも勤務したひとだ) に報告したら、ことのほか喜んでくれた。 プロジェクトには、ドラマがある。 * 久々にパスポートを鞄から出してめくるうち、フィリピン Ilijan (イリハン) 発電所のことを長々と書いてしまった。 心残りなのは、ルソン島南部にある発電所の運営事務所にフィリピンと韓国の旗は立っているが日本の国旗がないことだ。 プロジェクトには、韓国電力が51%、日本企業4社が49% 出資している。 日本の国旗もあって当然なのだが、運転・保守を韓国電力の子会社に任せきっていて現地に日本人はひとりもいない。ときどき日本のメーカーの指導員が保守点検のために短期滞在するだけ。 ぼくとしたことが、日本国旗のことはけっきょく言い出しそびれてしまった。 日本の融資銀行団の発電所視察などあれば、それを機に日章旗も並べて掲揚してもらう手があるなぁなどと思いつつ、一点だけほんの小さな曇りの残るプロジェクトだ。 発電所の運転は順調である。毎月ぼくのところにも月次報告が来る。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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