テーマ:政治について(20112)
カテゴリ:ぼくの疑問符
3月29日に死刑囚3名の刑執行が行われた。死刑執行の再開をわたしは支持する。
代案は、刑法に 「無期懲役」 でなく 「終身刑」 を導入することだが、死刑ではなく終身刑とするためにどれほどカネがかかるか議論して国会で決めてもらいたい。 事務方が検討を重ねて準備した死刑執行の命令書に今回ようやく署名した小川敏夫法相の判断はまっとうで、その点はおおいに評価するのだけれど、同日法務省で行われた記者会見の発言には違和感がある。 産経新聞3月30日付31面によれば、小川敏夫法相の発言として 「刑罰権は国民にあると思っている。世論調査でも死刑は大半の国民が支持しており、裁判員裁判でも死刑が支持されている」 とある。 すっと読んでしまいそうになるが、じつは恐ろしいことを言っている。 もし 「国民」 に刑罰権があるのなら、わたしが小沢一郎氏に対して刑罰を下す権利も存在するか? 天誅! だって、わたしも 「国民」 だから。 「国民に刑罰権がある」 状態とは、どんな具合か。 徳川時代に、仇討(あだう)ちが法制化されていましたな。そういう状態を指す。 近代法制ではもはや仇討ちは認められない。「国民」 が一時的に持っていた 「仇討ち」 という刑罰権を、国家が取り上げたわけだ。 国民にはもはや刑罰権はない。国民は刑罰権を国家に対して厳粛に信託したのである。 刑罰権は、国家の独占物であり、だからこそ国家はこれを厳粛に扱わなければならない。 小川敏夫法相に 「刑罰権は国民にあると思っている」 と言わせた法務官僚は、そういう基礎の基礎がわかっていないようだ。 法務官僚は、国家として議論の矢おもてに立ちたくないものだから、「刑罰権は国民にある」と法相に言わせて議論を煙に巻こうとした。この不誠実はゆるせない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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