藝人で物書きの小島慶子さん。高校の公民の先生が諭(さと)してくれたときのことを語っています。素通りできなくて、再録。
≪「なぜ自分はこんなに人間関係づくりが下手なんだろう」。 …<中略>… 私が悩みを打ち明けると 「小島さん、人間はいつになったら老いると思う」 と問われました。 私が 「60歳くらい」 と答えると、先生は 「悩むのをやめたときだよ。 僕くらいの年でもまだ人間関係には悩んでいる。悩むのを諦めた時に人は老い始めるんだ」 と諭されました。≫ 「僕くらいの年」 と言った先生は当時 ≪50歳くらいで、俳優のダスティン・ホフマンを天日干ししたような、少し枯れた雰囲気の人≫ だったそうです。 「悩み」 が小島慶子さんのキーワードですね。 ≪悩まないのが人間のあるべき姿で、悩むのは自分に落ち度があるためだと考えていました。 …<中略>… 先生の言葉で私は 「悩みがあっては駄目」 という思い込みから解放されました。 …<中略>… 私もいまだに人間関係には悩みます。大切なのは、人とつながっていなければという強迫観念を捨て、目の前の人と無心に向き合い、共感し、学ぶことです。≫ (小島慶子さんの語りは、平成25年1月4日 日経夕刊9面 「学びのふるさと」 欄のインタビューより。) * 「悩むのを諦めた時に人は老い始めるんだ」 って、カッコいいなぁ。 でも自分にこの切り口が当てはまるかというと、そうでもない。 むしろぼくなら 「好奇心が失せたときに人は老い始めるんだ」 「行きたい展覧会、観たい芝居や映画、読みたい本がまばらになったときに、人は老い始めるんだ」 いや、端的にいえば 「かわいい女の子に ときめかなくなったときに、男は老い始めるんだ」 と言いたい。 人間関係で悩むかというと、これが、悩まないわけです。 ぼくを評価しないひと、ぼくとソリが合わないひとがいると、どう思うか。 「そのひとにもっと評価してもらうために、ぼくはどうしたらいいか」 とか 「そのひとに気に入られるには、ぼくはどうしたらいいか」 とか、考えない。 というか、かりに自分がそんな媚びたことを考えるとしたら、その瞬間、そういう自分の俗物根性そのものを恥じるというのがぼくの発想ですね。 自分を評価しないひと、自分とソリが合わないひとがいれば単純に 「いやはや、こいつって、おバカさんだな」 と相手を切っちゃうわけですね。 ぼくが悩むときっていうのは、他人からの評価が低いとか、他人とうまくいかないとか、そういう他律的な状況下ではない。 むしろ、自分の美意識や価値観に反したことをぼく自身がやってしまったとき、すごく悩む。 悩みも極めて自律的です。 人間関係では悩まない。自分を省みて自分の美意識に照らし合わせながら悩んでいる。 ひとに媚びて、媚びが成果を生まないことで悩むことはない。むしろ、媚びている自分がいることに気がついて、媚びたこと自体を悩む。 かなりな唯我独尊でしょうか。 それほど自律的な悩みなら悩まなきゃいいのに、やっぱ、けっこう悩んでるなぁ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Jan 6, 2013 06:17:37 PM
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