カテゴリ:美術館・画廊メモ
世田谷美術館で 「生誕100年 松本竣介展」 を見た。松本竣介さんの知のきらめきと感性の躍動感、やさしく はにかむ現代人そのままの風貌と微笑みに触れた。(展覧会は1月14日まで。)
いま ぼくのすぐそばに何気なく立っているひとのような、とても近いひとだと思った。大正元年生まれのひとだけど、時代を軽やかに超えた親近感をもった。 昭和前期がこれほど身近に感じられたことは、はじめてだ。 ちらしやポスターにも使われた代表作の 「立てる像」 は、おととし平成23年9月30日に神奈川県立近代美術館 鎌倉 の 「開館60周年 近代の洋画 ザ・ベスト・コレクション」 展で見ていた。 恥ずかしながらそのときは背景知識がまったくなく、詰襟の学生服を着た学生をさらっと描いた絵かと思った。戸惑った。なぜ所蔵品ベスト展に、この作品が? 昭和十年代の学生さんにしては、ひどくあかぬけてるなぁ、その清新さがいいのかなぁと足をとめたのを覚えている。 今回あらためて大回顧展の作品群のなかで 「立てる像」 を見て、竣介さんの声が聞こえた。 肩ひじ張らずに、握りこぶしでもなく、しかめっ面でもなく、妙な気合もなく、かといって飄々としているわけでもなく、しかしすっくと立っている。 力強い自然体、と言えばいいだろうか。自然体であることの強さを、清新に描いている。 背景の建物群の描きかたは、竣介ワールドだ。抽象化された楕円の雲が清新さを演出している。 絵を見ることの悦びを感じた。 * 松本竣介さんの画業の全貌を知って、昭和15年ごろの一連の作品群に驚いた。シャガールを思わせる色彩とモンタージュ手法で、都会のざわめきを描いている。 現代の日展か二科展に出しても、清新さを評価されて特選を取りそうな、「黒い花」 連作。 謎ときを聞いてみたくなる 「序説」。 昭和10年ごろの 「母と子」 や 「少女」 には ルオーを感じるし、昭和17年ごろの 「黒いコート」 や 「少女」 には藤田嗣治を感じた。 いろんな絵が描けるひと。短い生涯のなかで、質的には3つの人生分くらいの絵を描いている。 * 禎子(ていこ)夫人とともに昭和11年10月から12年12月にかけて営んだ月刊エッセー雑誌の 『雑記帳』 が、とてもおしゃれだ。復刻版が出たら高価でも買いたいとおもった。 最終号の昭和12年12月号の表紙をみると、掲載記事として ≪英国民性の素描 歳末風物 今年の追懐 小説 クリスマス宵祭 オーヘンリー 小説 新婚旅行 マンスフィールド≫ などとある。たいそうモダンである。 昭和20年8月15日に疎開先の禎子夫人へ東京からしたためた手紙は、 ≪陛下の 「五内(ごだい)為に裂く」 の御言葉を肝に刻みこんで置け≫ の一節が印象深い。 「五内為に裂く」 は、かねてぼくも 終戦の詔書 の核心のメッセージと考えてきた。 竣介さんは親友に宛てた手紙のなかで 「四十才になったら詩集を出す」 と語っていたという。 むかしのひとのなかで、ぼくがはじめて 「お会いしたい」 と思ったひと、松本竣介さん。 持病の気管支喘息に加えて結核が襲い、36歳で亡くなった。生きておられたら、たぶんあと3つ分くらいの生涯に相当する画業を残したであろうひとだ。 * 世田谷美術館へ行った翌日、東京国立近代美術館 「ベストセレクション 日本近代美術の100年」 展を再訪して、昭和18年の 「並木道」、昭和23年の 「建物」 をしみじみと味わった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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