テーマ:政治について(20112)
カテゴリ:日本の政治
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近ごろの環境省は妙に調子に乗って、ほんらいの領分外のところまで縄張りを拡げすぎている。石炭火力発電所の建設や原子力再稼働の問題で、つくづく感じる。 それを言うとしっぺ返しが恐ろしいから、実業界の面々は口をつぐんでいる。 3・11の後遺症で経産省も文科省も下を向いている。 統治機構のバランスがおかしい。 ■ 環境省が反対すると石炭が燃やせない ■ 東京電力が予定している、新しい火力発電所の入札がある。 燃料コストを考えれば石炭火力にしたいところだが、環境省はそもそも 「石炭を燃やす」 ことに頑固なまでに反対した。石炭は天然ガスなどに比べて、単位あたりのCO2排出量が多いからという理由で。 煤塵や窒素酸化物の規制をいくらクリアしても、とにかく石炭を燃やすというだけでバツ。世界最高の技術を結集した石炭火力発電プラントも、日本での新設はまかりならんと環境省はゴネる。 「本件の癌は、環境省のナントカさんとカントカさんだ」 と、関係者には名前まで知れているに違いない。本人たちは奥の院に引っ込んでオモテに出てこない。 オモテに出てこない人たちが執念をかけてゴネただけで、成文化された環境規制にすべて合格の石炭火力発電所も建設できない。 日本で石炭火力が建設できないと、それだけ電気代が高くなる。国民経済にとってはマイナスだ。 ここまで大きな権限を、我々国民はいつ環境省の官僚に与えたのだろうか。 ■ 環境省と経産省の確執 ■ 環境省の縄張りはほんらい、発電所や工場の敷地の外だろう。敷地の外に出てくる排気・排水・廃棄物が基準内に収まっていれば良しとするのが環境省の領分だ。 敷地のなかで、合理的な範囲で最高技術を使うよう指導するのが経産省。国民経済全体を考えてエネルギー政策を策定するのも、経産省のはずだ。 この経産省の領分に、環境省が上がり込んで確執を深めるものだから、まことに迷惑なのである。 3月17日の日本経済新聞が1面トップで報じたところでは、ようやく環境省も振り上げたこぶしの下ろしどころを探そうとしているらしい。 見出しにいわく ≪発電、石炭火力を推進 燃料費抑制 環境相も合意へ 新増設へCO2新基準≫ とある。 なにせ、環境省さまがお決めになるわけだ。行政の範疇なので、各政党も動かない。 今や環境省は経産省よりも怖い役所に成り上がっている。 ■ 専門知見に乏しい環境省が原子力規制委員会を所轄 ■ 「怖い」 の極め付けが原子力規制委員会。原子力発電所の再稼働も廃炉も、この委員会の 「サジ加減ひとつ」 というのが平成25年の風である。 今や国民経済へのインパクトは兆円レベルだ。 てっきり内閣府か総務省 (消防防災の所轄官庁) に属しているのだと思っていたら、さにあらず。 原子力規制委員会は、環境省に属している。 原子力設備の専門的知見は経産省の領分だし、科学技術全般は文科省の領分だ。 しかし今や、それらの官庁を差し置いて、やおら環境省が、原子力プラントの技術仕様や活断層について語るわけである。 統治機構のあり方として、ムリがある。 ムリがあるから、のろい。原発の新たな安全基準の策定も遅々としたものだ。 ■ 津波と活断層、どちらが深刻で緊急か ■ 南海トラフの巨大地震は頻度が 「百年」 単位である。おもに津波の被害によって避難者は950万人に達し、死者は最悪で30万人以上と推定されている。 想定される津波が高すぎて、とても堤防では防ぎきれないし、都市の高台移転も不可能だ。だから、本来なら血相変えて小型の避難艇 (箱舟) を大量生産し、街の駐車場ごとに1隻ずつ常備すべきところである。 カネがいくらあっても足りない。 その一方で、原発用地の下を通る活断層が再び大きくズレる頻度は 「1万年」 単位である。 そして、福島原発や女川(おながわ)原発も、大地震の揺れそのものには強靭(きょうじん)であった。 活断層という “前科者” が再びズレを起こす確率は、万年単位で考えて相対的には高いと推定されている。 しかし、かりに断層の “前科” がない場所で同様のズレが起きても対処できるように対策を立てるのが、これからの原子力プラントの基本でなければならない。 原子炉直下の活断層認定でシロとクロの議論をするのは、じつは事の本質から外れている。事の本質から外れた議論をした挙句に、まだ運転できる原発を廃炉にするのは、じつは本末顛倒なのである。 ■ 原子力規制委は内閣府か総務省の管轄下に移せ ■ 環境省は今や絶大なサジ加減の権限を有するに至った。 今年7月に導入される新たな安全基準を、現在運転中の大飯(おおい)原発3・4号機には今年9月まで適用しないことを決めた。 この決定じたいは妥当なものだ。感謝に値する。 恐ろしいのは、そういう極めて政策的、政治的、恣意的、経済的、総合的観点の決定プロセスに国会も総理大臣も経産省も文科省も関わることができず、環境省の専権事項になっているということだ。 死者が出る規模と確率を右目で見、経済効果や経済的得失を左目で見ながら、総合的な判断を下すべき問題なのに、今や全てが環境省の手のひらの上。 国家統治のありかたとして、異常だ。 民主党が残したこの異常が正され、エネルギー政策や機器設備の技術問題を再び経産省が所轄し、科学技術全般を再び文科省が所轄するとき、はじめて3・11は収束に近づいたと言えるのである。 緊急避難的には、原子力規制委員会は内閣府か総務省 (消防防災を所轄) の傘の下に移すべきではないか。 いまの環境省の姿勢には、なにかと経産省へのツラ当てのような確執が感じられる。 ほとんどサボタージュと言ってもよいほどに。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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