わたしの出身の愛光学園の関東地区同窓会の案内が来た。
この種の催しに出るのは時間の無駄なので決して出ないのだが、往復葉書の往信の呼びかけ文が伊予の「よもだ」を はきちがえているのが腹にすえかねた。 曰く ≪愛だ、光だ。「よもだ」 を取りもどせ。 世界はカオスの中に投げ出された。関東は3.11以来、軋み続けている。 愛の潤いと光の鮮やかさだけでは、さまざまな想いを繋いではいけない。 人と人の間に、「よもだ」 という遊びがなければ歩み寄りは難しい。 いまこそ、「よもだ」 を私たちの手に、強く、もう一度、集まろう。≫ なんだよ、これ。 羞恥心というものがないね。 こういうギラギラした自己主張こそ、「よもだ」 の対極なんだよ。 「よもだ」 云うんは、ちょっと人と調子が外れとったり、人が言わんようなことをヒョッと言うてみたりしたときに、周りのもんが 「おまえは よもだじゃのぉ」 と云うんが 「よもだ」 じゃがね。 自分から 「わしはよもだじゃけんの」 云うときは、おだやかに半分独り言みたいに言うんが 「よもだ」 よ。 同窓会案内を書いたもんは、その辺が分からんけん、 「よもだを取りもどせ」 みたいなこと書くんよ。 そういう偉そうなこと言い出したら、もう 「よもだ」 じゃないんよ。 往復葉書の返信に、こう書いて出した。 ≪幹事会の方々に認識いただきたいが、「よもだ」 というのは声高に自ら 「わしはよもだじゃ」 と主張するものではない。 他の人々に 「よもだ」 と言われても黙って笑っているのが 「よもだ」 である。 「よもだ」 をはきちがえてはいないか。猛省を求めます。≫ とまぁ、こういう真面目くさった葉書を受け取ったときにも、一言 「よもだじゃわい」 と言って受け流すのが、よもだの本質である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Apr 7, 2013 05:42:15 PM
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