カテゴリ:美術館・画廊メモ
行ってよかった。
いい展覧会の終了前の週末は混雑するので、大雪の日ならゆっくり見られようと、よほど2月8日の横浜行きを考えた土曜日でしたが、翌日曜のきょうもじっくり作品と対話できました。 ぼくはとにかく人物画が大好きなわけですが、そこに直球ストライクの球を投げてくるのが観山です。 人物ひとりひとりの表情に、演劇の一場を観る思い。 260209 岡倉天心生誕150年・没後100年記念 生誕140年記念 下村観山展 (~2/11) @ 横浜美術館 (みなとみらい三丁目) (行こうと思っていた2月8日は大雪で巣籠りした。雪の残る今日、意を決して行った。人物画イノチのユキヲ必見の回顧展だった。) とりわけ魅了されたのが展覧後半の、人物の奥底まで描ききった掛軸の数々。 「老子」 (東京国立博物館所蔵) は、観山に面立ちが似ている。 もとより、老子の風貌こそは藝術家の裁量に委ねられたものの最たるものだから、そこに自らを投影した観山のこころのありかまで推し測れる。 「陶淵明」 (福井県立美術館所蔵) 、「酔李白」(北野美術館所蔵) 、「一休禅師」 (永青文庫所蔵) など、それぞれに時空を超えてそのひとに会っている思いだ。 孔子ではなく老子、杜甫でなく李白なのだなぁ。 「日蓮上人辻説法」 (東京藝大美術館所蔵) も、図上のひとりひとりが演じるベストシーンを集約しているような、見飽きない作品。下図も並べて展示されていて、なお面白い。 「美人と舎利」 (gallery 枇杷 所蔵) は、左の一幅が幽霊の位置に骸骨、右の一幅は清らな美人が幽霊を少し見上げる位置にある。 これなど、現代アートの最先端と言ってよい。現代アーティストが揃ってひれ伏すべき逸品だ。 「魔障」 (東京国立博物館所蔵) も現代アートだ。 佛を拝む僧の堂に寄せ集まる物の怪らの図を墨だけで描いた 「白描画」 に、ところどころ金泥をあしらって、みごとな本画に仕上がっている。 「俊徳丸」 (日本美術院所蔵) の一幅は、つい先週金曜日に都美術館で見た重要文化財の六曲一双 「弱法師」 の俊徳丸とはまた異なり、一陣の風まで感じさせる。 人物をあえて右に寄せた不安定が、すっくと立つといえども不自由な俊徳丸の身の上まで暗示してみごと。 「維摩黙然(ゆいまもくねん)」 (大倉集古館所蔵) は、維摩にかしづく女性の横顔と装身具、それをとりまく調度や蓮の花瓣など、みな美しい。 * * * 常設展は、見たことのある作品が多いが、少しずつ入れ替わっていて楽しい。今回の新たな対面は、 Otto Dix: “Stilleben mit Kalbskopf” (「仔牛の頭部のある静物」、大正15年作品) は、仔牛の目が生きていてゾクッとさせる。白い花瓣に赤い点々のある鹿の子百合のあしらいがよい。 Andre Masson: “Narcissus” (昭和9年作品) は、なんとも軽やかな色づかい。こんなにうつくしくクリームイエローが響く作品を見るのは初めてだ。 上村松園 「楚蓮香之図」 (大正13年作品) は、あでやかな支那美人。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Feb 9, 2014 08:08:00 PM
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