テーマ:韓国!(17286)
カテゴリ:韓 国
【平成26年4月7日の配信コラム (読者登録はこちら)】
5年ちかく前になるが、親しくなった韓国人が 「兄弟の契(ちぎ)りを結ぼう」 と言ってくれたことがある。喜んで応じたが、そのあとの展開が予想外、想定外だった。 そのときは 「あれ?」 と思ったていど。しかし、いま思えば、韓国という “変な国” のふるまいの裏にある原理を端的に説明するネタになりそうだ。 何が起こったのか、ご紹介する。 ■ 日・韓・米がフィリピンで ■ 勤務先の商社が、韓国電力と共同でフィリピン・ルソン島の発電所に出資・運営している。このプロジェクトを、わたしは断続的に合計8年ほど担当していた。悔しさと喜びの入り混じる日々だった。 日・韓の企業が手をたずさえて出資し、日・米の企業が共同で発電所を建設し、フィリピンの民生向上のためのインフラ整備に取り組む。大東亜戦争に散った先人たちに謹んでご報告したくなるようなプロジェクトである。 わたしが担当した最後の2年間は、出資日本企業4社の代表としてマニラでの出資者会議で発言するのが仕事だった。 エリート然とした韓国電力社員のなかでも、朴明哲(ぼくめいてつ、仮名)さんは雰囲気がどことなく剽軽(ひょうきん)で、飲み会でも朝鮮語と英語を交えて話をし、とりわけ親しくなった。 ■ ヒョンジェ (兄弟) になろう ■ 朴明哲さんは、NHK大河ドラマ 「功名が辻」 がえらく気に入っていて、千代役の仲間由紀恵の大ファンだった。 ある晩のこと。飲み会の後半、あちこち席を入れ替わって盛り上がっていた。朴さんと話していると、朝鮮語でこう言ってきた。 「泉さん、我々はヒョンジェ (兄弟) になろうじゃないですか」。 フランス人が 「これから二人称代名詞は vous (あなた) ではなく tu (きみ) を使い合おう」 という類(たぐ)いだろう。 よろこんでOKした。 ふたりで兄弟の契りの乾杯をしたところで、予想外の展開がはじまった。 ■ 兄弟とは兄貴と舎弟(しゃてい)? ■ 朴さんが真顔になってこう言った。 「兄弟ということなので、どちらが兄か、どちらが弟かを決めないといけない。泉さんが生まれたのは何年ですか」 1959年だと答えたら、朴さんは狼狽した。 「本当か?」 と2度聞き返したあと、 「疑うわけではないが、パスポートを見せてくれませんか」 と言うので、胸ポケットから出して渡した。 朴さんは自分のほうが年上で、泉の “兄貴分” になれると思っていたらしい。兄弟の契りを交したあとで自分が “弟分” であることが判明してしまったわけだ。 わたしは、ぽかんとしていた。「兄弟」 といえば、わたしのイメージはキリスト教でいう「兄弟」で、同輩を意味する。神父や牧師の前で、教会のなかの兄弟どうし、どちらが兄でどちらが弟かを論じることなど、想像もできない。兄弟とは平等の意味である。 朴明哲さんが 「兄弟になろう」 と言ったとき、わたしのイメージは、肩を組んで 「同期の桜」 を歌う仲、だった。間違っても、「兄貴」 と 「舎弟」 の関係ではなかった。 ■ 朝鮮語の丁寧形とぞんざい形 ■ ふと気がつくと、かわいそうな朴さんは観念したかのように口のなかで 「ヒョンニム、ヒョンニム、ヒョンニム……」 と唱えている。 意を決したように朝鮮語で 「ヒョンニム(兄上)、明日ご帰国されたら、次はいついらっしゃいますか」 と聞く。 「次は、4ヶ月後だと思いますよ」 と、いつものように丁寧形の朝鮮語で答えたら、朴さんは 「ヒョンニム(兄上)、だめです。ヒョンニムなんですから、丁寧ことばで弟に話したらいけないんです」 という。 「そんなことありませんよ。We are equal partners. Why shoud I change my language? (わたしたちは平等なパートナーでしょ。なぜわたしが言い方を変えなきゃいけないんです?) それに、わたしは朝鮮語は polite form(丁寧形)でしかしゃべれないのです。教科書の朝鮮語会話は丁寧形で書いてありますから」 と、わたしは朴さんに朝鮮語と英語を交えて答えた。 朴さんは顔をゆがめながら 「丁寧形を使うとヒョンニムらしくないのです。あなたはヒョンニムなのだから、頼むから丁寧形は使わないでください」 と言う。これにはほんとにビックリした。 兄弟の契りを結んだばかりに、朴さんとわたしは平等な関係ではなくなり、朴さんはわたしに丁寧形の朝鮮語、わたしは朴さんに ぞんざい形の朝鮮語で話さなければならなくなってしまった。 ■ 兄弟の契りとは上下序列の確認・固定化 ■ 兄弟の契りで、お互い気のおけない同輩関係を深められると思った。しかし韓国式に兄弟の契りで親しくなるとは、「上下の序列を確認・固定」 することだった。 わたしには、この韓国式の兄弟の契りは大層居心地が悪く、「ヒョンジェ(兄弟)同士になろう」 という朴明哲さんの言葉に安易に応じたことを後悔した。 以前、日韓関係について論じた韓国人の講演記録をエスペラントと朝鮮語の対訳プリントで読んだことがあった。 エスペラント版を読んでいると 「韓国と日本は fratoj (兄弟) の間柄であるべきで」 云々とあり、特段の抵抗もなく読んでいたのだが、ふと朝鮮語版のほうを読んでみると 「韓国は兄、日本は弟の間柄であるべきで」 とあり、アホらしくなって読むのを即座にやめたなぁ。 朴明哲さんとの兄弟の契りの夜、ホテルに戻ってから、そんなことをふと思い出した。 ■ 国と国との関係も ■ 朴明哲さんとこれからどう付き合ったものか、じつに気が重くなった。 日本に戻って、ぞんざい形の朝鮮語 (弟分に話す形) も少しは勉強しなけりゃと思い、朝鮮語テキストの読み方が深まったことだけが収穫だった。 マニラ再訪の折、「兄上」 らしいこともせねばならぬかと思い、「功名が辻」 の総集編DVDを買って行った。 「ヒョンニム、ありがとうございました」 と言いながら、朴明哲さんは受け取ってくれた。 幸か不幸か、その直後に勤務先で担当替えがあり、わたしはフィリピン案件から離れた。朴明哲さんと、その後は やりとりがない。 * * * このところ韓国が何かにつけて、しつこく居丈高(いたけだか)で、出口が見えない。 ソウル五輪の開催を経て韓国が、日本と同輩の国として成熟してくれることを期待した日本人は多かったと思うが、現実は違った。もはや単なる反日ではなく、「韓国が上位で、日本が下位」 であることを世界中で永遠に確認しつづけなければ気が済まないと言わんばかりの行動だ。 現実の日本を責めようにもネタがないものだから、70年前の歴史ファンタジー話 (朝鮮人娼婦の由来) に頼る。 ■ 英仏独が 「兄弟」 の上下を争うか ■ 「近い関係になるには上下の序列を明確化することが不可欠だ」 という韓国独特の原理に、外交問題の根本原因がありそうだ。 朴明哲さんとの 「兄弟の契り」 の一件も、「近い関係になるには上下の序列を明確化することが不可欠だ」 という韓国人原理に基づいて朴さんが行動したのが原因だ。 たまたまわたしが年上だったからよかったものの、年齢が逆だったらわたしが朴さんに 「ヒョンニム!」 と言い、朴さんからは ぞんざい形の朝鮮語で話しかけられるという立場に追い込まれるところだった。 フランスとドイツ、フランスと英国のような成熟国家どうしが、互いにどちらが 「兄」 でどちらが 「弟」 か論じる光景など、想像だにできない。互いに、いいところ悪いところがあり、感謝もあれば恨みもある仲だ。同輩国どうしである。 ところが韓国という国家は 「近い関係になるには上下の序列を明確化することが不可欠だ」 という原理に縛られるから、そうはいかない。 韓国は、中国に対しては必要以上に卑屈になる。上下の序列の 「下」 のほうに身を置くことで安定感を得る。 その分、日本に対しては居丈高になる。ほんとうは 「尊大」 にふるまいたいのだが、尊大にふるまうネタがないから居丈高にならざるを得ない。 日本との間で、上下の序列の 「上」 のほうに身を置くことで安定感を得ようと勝手に願い、それがかなわず勝手に悔しがる、それが韓国である。単に 「同輩国」 になればいいのにと日本人は思うが、韓国としては それでは満足できない、安定しないのである。 われわれ日本人は子供のときから学校教育で 「人間はみな平等。世界の国々はみな平等」 と叩き込まれて来たから、韓国の行動原理に大いに戸惑いを感じる。 ■ かつて南洋と呼ばれた東南アジア諸国 ■ 東南アジア諸国も同様だろう。ベトナムとタイとビルマが、どちらの国が兄貴分で、どちらの国が弟分だと言って争い出したらキリがない。 互いに同輩関係の村落社会が同居しあって、基本的に 「食うに困らない」 国が南洋諸国である。国家どうし、村落社会どうしが媚びへつらったり序列をつけ合ったりする必要は無かった。 こういう地域に韓国人が来て、「近い関係になるには上下の序列を明確化することが不可欠だ」 という原理を振りかざすとどうなるか。 誇り高いタイ人やベトナム人を露骨に見下げる韓国人の行動原理。評判がよくないのは当然だ。 大東亜戦争の後半に日本帝国が南洋諸国で評判を落としたと、これは歴史教科書の定番記述だが、その一因は日本側人員に朝鮮出身の志願者らが加わったからではなかったか。 ■ 序列原理の特亜 ■ 中国共産党と朝鮮労働党の党内序列は定期的に発表されてニュースのネタになり、政治分析のイロハとなっている。 日本の自由民主党の 「党内序列」 が番付表のように発表されることはない。 中国も朝鮮国も 「近い関係になるには上下の序列を明確化することが不可欠だ」 という原理に基づいて動く国だということが、よく分かる。 読者の皆さんの記憶をたどっていただきたいのだが、中国・韓国・朝鮮国の3ヶ国に限って、日本からカネや譲歩を引き出そうとしては、媚びへつらった笑顔で 「かわいげ」 を演出することがあった。不自然に過度に下手(したて)に出る。 (東南アジアの政治家に、ああいう媚びへつらいは無い。) われわれ日本人は 「ヨーロッパ諸国が互いにつきあっているような具合に、ふつうの同輩国として付き合えるようになりましょう」 という思いで中国・韓国に巨額の援助をしてきた。 ところがあるとき突然、下手(したて)に出ていた国が俄然(がぜん)居丈高にふるまいだす。オセロゲームの白が黒に変わるように、態度がコロッとひっくり返る。 下手(したて)と居丈高のあいだの 「ふつう」 の時期がないことに、日本人は戸惑う。日本人としては 「ふつう = 諸国平等」 が安定形だと思っているから。 ところが、中・朝・韓の3ヶ国は 「近い関係になるには上下の序列を明確化することが不可欠だ」 という原理で動くから、「ふつう = 諸国平等」 が原理的に存在しない。 なるほど、中・朝・韓の3ヶ国が一括して 「特亜」 と呼ばれるわけである。 【コメント書き込みは楽天ブログ会員限定となっています】 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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