カテゴリ:美術館・画廊メモ
ぼくが行った8月1日、金曜日の夜は、ちょうど本館前でコンサート設営の最中。翌日の新聞を見たら、あと数分待っていれば一青窈(ひととよう)さんのミニライブ開始だったことを知った。ちょっと残念…。
さて故宮展の内容だが、トーハク(=東京国立博物館)の学藝員がよほど書が好きなのか、とくに展示前半がやたらと地味。どうりで客が少ない。 大衆が喜びそうなお宝ものは、最後のほう、乾隆帝コレクション・コーナーにある。ミニチュア飾り家具の「紫檀多宝格」と、そこに収まっていたミニチュアお宝の数々など、この手のものは故宮博物院にたくさんあるので、そういうのをもっと並べてくれると大衆は故宮のお宝の過剰性を実感して感嘆のため息…ってことになったのだが。 過剰性こそが故宮なのだけど、今回のトーハク展は学藝員の目線で取捨選択しすぎたね。 学藝員が大衆受けを信じたのは、あの「翠玉白菜」なのだろうけど(6/24~7/7 の期間限定で別会場の本館特別5室に展示された)、むしろ工藝の粋たる「象牙多層球」の展示が欲しかった。象牙の内部、十数層にわたり球面を彫り込んであり、見ていて気が遠くなってくる。故宮博物院にはたくさんあるので、ふたつ三つ持ってくれば会場の華になったのにね。 なんで今回「象牙多層球」を持って来なかったんだろう。 多様な合成樹脂製品に囲まれた現代生活をしていると、色とりどりの玉(ぎょく)の細工を見てもさほど感動しない。そういう自分がちょっとかなしい。 丁寧なつくりに感動した品々は、以下のとおり: 「緙絲(こくし)吉祥喜金剛像軸」(元時代): じつに細かな つづれ織りで、よほど近づいてはじめて織物だと分る精密な出来。 「刺繍咸池浴日(かんちよくじつ)図軸」(南宋時代): 池水の波立ちをあらわす刺繍が、見る位置を少し変えるだけで、まるで偏光板のようにくるくる躍動して見える。 「永楽大典」(明代、16世紀半ば): みごとな楷書と図絵の百科事典。もっといろんな頁を見てみたい。 「帝鑑図説」(清代、19世紀): 帝王学のための故事図鑑。これまたみごとな楷書。 「藍地(らんじ)描金粉彩游魚文(ゆうぎょもん)回転瓶」(清代、乾隆年間): 琺瑯製とさえ見える、つややかな発色。2層になった花瓶で、内層にあたる花瓶の口の部分を回すと、花瓶胴体(外層)に開いた窓から内層表面に描かれた金魚がゆったり泳いでいるように見えますよという趣向。景徳鎮の窯では、2層構造を実現するため、試行錯誤の連続だったに違いない。それに思い至るだけで気が遠くなる。まぁ、この「気が遠くなる」ほどの技巧こそが、故宮のお宝の醍醐味ですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Aug 4, 2014 08:03:52 AM
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