カテゴリ:美術館・画廊メモ
内藤亜澄(あずみ)さんの “Hand” と題したサムホール判の小品(平成23年作品)を持っている。
見る者を幻視世界に とろりんこと引き込む、内藤ワールドのファンである。 11月8日まで京橋三丁目の Gallery Tsubaki/GT2 (11/2, 11/3 は休廊)で「内藤亜澄展」をやっている。2度もかよってしまった。 最も引き込まれたのは、この作品だ。 内藤亜澄 「誰かの夏」 F50号 6つの十字架は何を象徴しているのだろう。十字架からこちらに向かって伸びる黒い線はもはや影ではなくて、どこにつながっているのか 底知れぬ深い溝ではなかろうか。 人物と十字架を分かつ結界を示すような赤い線は、何の象徴だろう。 寓意を含む絵は、えてして「伝えたい理屈を絵解きしてみました」という作家のメッセージが見え見えのものがある。そういう絵はけっきょく、見る側の感受も作家が準備した理屈を超えられない。 ところが「誰かの夏」は、そうではない。内藤さんなりに絵を支えるロジックは組み立てておられるのだろうが(それを聞いてみたい気もするが)、あらゆる象徴はすでに作家のロジックを超えたところで息づきはじめている。 刻一刻と、見る者の大脳を刺激する波動が、絵から放射されている。 白い壁面と、赤い壁面と、それを取り巻く樹林。その3つの何れか1つだけが現実で、残る2つが幻視だとしたら、現実は白壁、赤壁、樹林のうちの何れだろう。 そんなことを考えだすと、絵はすでに静止画像ではなく、幻視の樹林がむくむくと立ち上がる動的光景まで見えてきそうだ。 視線をこの絵に向けるたびに、謎に踏み入り、さまざまな幻視を感じる。 飽きない絵とは、まことにこの「誰かの夏」のような絵を言う。 内藤亜澄 「瞬間」 F8号 内藤亜澄 「夜明けまで」 F8号 内藤亜澄 「止まり木」 F8号 内藤さんが描く人物は、平成23年から24年にかけて大きく変わった。 それまでは、霧の向こうの乳の凝固体のような人物だった。それがやおら、メタリックなゆらめきを帯び高圧電流を放出しつつ融解しそうな人物へと変わった。 創造したメタリックキャラを、内藤さん自身、御(ぎょ)しきれていないように感じられたのが昨年だったが、今年の個展ではこのメタリックキャラを御しきった。 メタリックな跳込板の少女はすでに手の先を失い、水面に着地するまでに秒速で空気に拡散しそうだ。 ボート上で闇を見つめる少年からは、アーク燈のじりじりという音まで聞こえてくる。 そしてショッキングピンクのカーテンの向こうの妖怪少女には、次の瞬間にあらゆる変化(へんげ)が可能なポテンシャル(潜在力)を強く感じさせる。 メタリックキャラが潜在的にもつ動感を生かしきった三部作だ。 内藤亜澄 「駆け抜ける」 F20号 少女の飄々(ひょうひょう)。ジョルジョ・デ・キリコの「通りの神秘と憂愁」の左下に描かれた輪回し少女を思い出した。 内藤亜澄 「求められる家は山をも創る」 S50号 今回の個展のDMに使われた作品。画題の含意を作者から聞きたい衝動にかられる。 内藤亜澄さんは昭和58年生まれ、東海大教養学部美術学科卒。平成24年にシェル美術賞 本江邦夫審査員賞を受賞。 個展はギャラリー椿で11月8日まで。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Nov 2, 2014 04:08:55 PM
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