カテゴリ:ぼくの疑問符
わたしは高校3年のとき、自分の意思でカトリックの洗礼を受けたが、いまは後悔している。ふりかえって自己分析してみると、自分の父親の存在が鬱陶しくて、父親以上の権威となってくれるものを持ちたかったのではないかと推測する。
なぜ後悔しているかというと、カトリックが諸民族にもたらした罪があまりに巨大で、どす黒くも深いことに、ほとほと愛想尽かしをしたわけである。 安土桃山から徳川時代にかけて、日本人をたましいから蝕(むしば)んで、日本人奴隷を南洋に売り飛ばすは、島原の乱をあおりたてるはと、佛教が千年かけてもやらなかった悪事を数十年で次々とはたらいた。 佐治敬三と開高健の生涯を描いた北康利著『最強のふたり』(講談社、平成27年刊)に、こんなくだりがあった。 ≪北はソ連の支援を受けたホー・チ・ミン率いる共産主義国家であり、南はアメリカの支援を受けたゴ・ディン・ジエム大統領率いる自由主義国家である。 ところがゴ・ディン・ジエムは、次第に独裁色を強めて暴走しはじめる。 この国(南ベトナム)は1割ほどしかいないカトリック教徒が富と権力のほとんどを握っていた。とりわけ熱心なカトリック教徒として知られたゴ大統領は、佛教徒が国民の8割を占めているにもかかわらず、政治的発言をする佛教指導者を東国あるいは殺害するなどして弾圧しはじめた。 やがて僧侶たちが抗議のために街頭で焼身自殺をしたり、“ゴ政権の世など見たくもない”とばかりにみずからの目をくりぬくといった陰惨な事件にまで発展していく。 汚職も蔓延し、政権を批判する勢力を弾圧したため、反政府運動はますます活発化していった。 昭和35年には南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)が結成され、12月に内戦状態に陥る。ベトナム戦争の幕が切って落とされたのだ。≫ ベトナム戦争の最大の悪者はハノイの共産主義政権だが、サイゴン側を内側からガタガタにしたのは、つまるところカトリックではないか。かりにゴ・ディン・ジエム大統領が佛教徒で、佛教徒が8割を占める国民側に立っていたなら、北の勢力につけ入るスキを与えず、朝鮮半島のように南の政権も安泰だったかもしれない。 カトリックはベトナム戦争の遠因を作ったとも言える。 日本で犯した罪悪といい、ベトナムでの罪悪といい、まったく反省していませんね、カトリックは。まぁ、そういう厚顔無恥がこの地球の国際標準だということだけど。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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