この世の終わりかと思った・・・・・
※この日記は後日書き込んでおります故、「おやっ?」な所も多々あります なにせ本人未だに混乱しておりますので・・・・ご勘弁を(平謝)その日は優雅にお昼寝をし目覚めてぼんやりソファーでテレビを見ていた14時46分低く恐ろしい地鳴りと、携帯・テレビの災害警報音が同時だったような気がする「地震だ!」と構えると同時にもの凄い揺れ地震には(変な話)慣れていた気がしたけれど、これまでに経験した事が無いほどの揺れ そして音 この音が未だにトラウマとして残っている一時揺れが収まったかに思われたが また激しい揺れ 長い!そのうちにテレビが消えた 停電だ建物の軋む音 食器棚の食器が落ちる音 外からの何かが倒れる音本当に『もう駄目だ』と思った最初の揺れの時点で旦那様の携帯に電話していた神奈川県もだいぶ揺れていたらしく机の下に潜ってたとの事混乱時に携帯が繋がらなくなりそうなので繋いだまま揺れが収まってから外に避難したが、途中で回線が切断され二日後まで通じない状態になった うちのマンションは一時避難場所は敷地内の広場になっているどちらのお宅も取りあえず外に避難されてきたようなので管理事務室の方々と安否確認、要介助者の登録が3件あったので手分けして確認と避難のお手伝いをしながら各世帯の安否確認余震が続く寒い中、追いうちでも掛けるかのように雪・・・ちょっと吹雪いた建物内はまだ危険と判断し 広場に本部用テントを建てようとしたけれど日中で平日、女性と老人とお子様が多く難航それでも若い子達(高校生)が頑張ってくれたりして風よけは出来た余震が収まった頃に自宅へ戻り色々と持ち出し車で寝るように寝袋と毛布、非常持ち出し袋等々その晩はみんなで肩を寄せ合うようにして玄関ホールで一晩を過ごす管理組合で非常用に用意してあった(煮炊き出来る)ストーブ2台でお湯を沸かしアルファ米(カレーピラフ)を作って出したけど・・・十分な量でないしこの先の事も考えてかお子様と年輩の方優先一応乾パンと保存水も各戸(3本程度)準備してあったけど結局その日はご飯も食べずにいた お腹なんか空かなかったラジオからは地震の震度、各地の状況(その時点ではあまり・・・)「○○地区で200~300の遺体・・・・」津波?すぐには理解出来ない状態県内全域で停電したので あたりは暗闇そんななか 星空が怖ろしいほど綺麗で逆に怖くなった生まれて初めて見る綺麗な星空 でも・・・二度と見たくない星空マンションの上階階段からは遠くの火の手が見える車のラジオでも津波と火災の同じ話ばかり なかなか寝れなかった