またまたまた『
バガヴァッド・ギーター』第6章から
前回の部分からちょっと戻ります。
ヨーガに専心し、一切を平等に見る人は、自己(アートマン)を万物に存すると認め、また万物を自己のうちに見る (6-29)
これは『凡我一如』の境地を説いています。
一元論です。
全てがひとつという考え方です。
ヴェーダーンタに代表される哲学です。
分け隔てのない考え方。
最初からそうゆうものだと思うことで
苦しむことはなくなります。
だから
それに気づきなさいって教えてくれています。
難しい・・・
でも
これを
どうやって実生活に生かしていくかってことの方が大事なんですよね。
成瀬先生は
ラーマクリシュナの伝記を読むといいと教えてくれました。
ラーマクリシュナは近代を代表する聖者で
先生の書いた『
いまに生きるインドの叡智』にも載っています。
聖母カーリー
へのバクティーという方法で三昧の境地に到達しました。
そして
『
いまに生きるインドの叡智』にも書いてあったんですが
ラーマクリシュナの言葉で象徴的なものがあります。
以下抜粋です。
「ラーマクリシュナによれば
私達は神を求める気持ちがまだ弱く
神を求める努力がまだ足りないといいます。
彼が信者達を前にしてよく使った譬えがお金や女性の話です。
世間の人はお金や女性に夢中になり
そのためにはいくらでも涙を流すくせに、
神を見ることが出来ないことに対してなんで涙を流さないのかと。」
そして
「神はあらゆるものの中に遍在し、とくに人間の中にこそ現れる」
この教えは弟子のヴィヴェーカナンダによって受け継がれます。
私の中に「神」といっても
私にはまだ実感がないのですが・・・
いつかはそんな境地に達するのでしょうか?
私にできることはまず「きづき」を大切にすることかな?