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テーマ:■ヨガ・ピラティス■(2543)
カテゴリ:YOGA
そろそろ『バガヴァッド・ギーター』の9章もまとめに入ります。
バクティ・ヨーガについて色々と書いてきましたが バクティ・ヨーガが一般の人に広く伝わっていったのは 13世紀の終わり頃だということです。 そしてその教えは二派に分かれていきました! ひとつは【子猿の論理/ヴァダガライ】 保守的で サンスクリット語も用いて 解脱は本来、人間の努力によって達せられるもの それができないときだけ、最高神バクティという方法をとるべきで 自分の力がどうにもならない時に [ 子猿が親猿にしがみつくように ] 最低の努力は必要で 信愛と修行の両方を説いた考え方です。 そして もう一方は【子猫の理論/テンガライ】 民衆的な立場をとり 説法や著述もサンスクリット語ではなく 民衆語を用いました。 神へのバクティを捧げ プラパッティ(神への絶対的な帰依)することによってのみ救われるのであって 人間的な努力は無意味であると言う考え方です。 [ 子猫が何もしないでも親猫が口にくわえて運んでくれるように ] 絶対他力です。 成瀬先生もおっしゃっていましたが・・・ 簡単そうに思える【子猫の理論】ですが 絶対他力では、将来の不安を感じてしまうようでは 信じていない証拠となり できそうで・・・ できない・・・ でも、インドではこの【子猫の理論】=子猫派が広まっていきます。 イスラームの平等思想の影響もうけ、ラーマナンダが北インドに広めていきました。 ラーマナンダの説くバクティーは カーストやや宗教にの違いに関わらず あらゆる人に向かって平等に説かれました。 これはこの時代には画期的な出来事だということです。 バクティ・ヨーガは 神を信愛するものは最も優れた修行者であり 神の恩恵を受けると説き。 その信者には男女や階級の差別はなく 神を敬愛するものは誰であっても解脱に導かれる説くところに あらゆる階級の人々に受け入れられた要因があると言われています。 ラージャ・ヨーガに比べると 出家も特別な修行も必要なく 容易に行うことができ しかも 解脱に導かれるということは 一般人にとっては有り難いものです。 神を愛し、想い、神の前では親に対する子供のような気持ちでいれば救われるのです。 バラモンという階級でなくても サンスクリット語ができなくても ヴェーダを学ぶことができなくても また、 出家も 長時間の瞑想も 苦行も 必要ありません。 先程も書きましたが このバクティ・ヨーガが広まっていった根底には ヒンドゥー教には見られないイスラーム教の【平等思想】があったこと も見逃せません。 以上、『インドの叡智』を参考にまとめてみました。 いまに生きるインドの叡智 私は子猿かな? 子猫になれきれない・・・ でも・・・ なってみたいな~ 写真は昨日アップしようと思いながら忘れてしまった 【太陽と風 そして大地を感じる 外YOGA】を行った場所から 仰ぎ見た空です♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.08.19 00:06:14
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