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テーマ:■ヨガ・ピラティス■(2557)
カテゴリ:YOGA
今日はホメオパシー講座第2回目に参加し
その後やっとお墓参りに王子様と一緒にいくことができました♪ あ~すっきりした♪ お墓につくと お線香の香り・・・ 我が家のように 今日お墓参りしているうちもあるんだね~なんて話しをしながら ご先祖様のお墓の前に~ なんと お線香は我が家のご先祖様のお墓から匂いが漂っていたのです。 きっと母です。 王子様達は凄いタイミングだ~!って大騒ぎだったけど・・・ 親子だもん♪ のんびり屋(?)も母子そっくり? イヤイヤ~ちがうな~ 母は連休できっと仕事が忙しかったからこのタイミングだったのね~♪ さて! ホメオパシーのことも興味深いお話が多かったのですが 先週の八雲教室でのシヴァーナンダ・ヨーガの学習から 『シヴァーナンダ・ヨーガ』 書き留めておきたいことがたっぷりだったので~ 忘れないうちにまとめておきます♪ 【ムールティ・プージャーとマナスィック・プージャー】について プージャーは祭式、礼拝、神聖なもの前にろうそくなどの火を灯し、供物を捧げ、マントラやキールタンを歌う。という意味があります。 ムールティ・プージャーは形式だった祭式(神像の礼拝)。 マナスィック・プージャーは心の中でする祭式(心の礼拝)。 シヴァーナンダさんは毎日の自分の部屋でのプージャーを欠かさなかったそうです。 そして 歩くことが可能な限り 1日に3度 山の上のアーシュラムのバジャン・ホールで行なわれるプージャーもされていたそうです。 アーシュラムのバジャン・ホールへ行くまでの階段は本当に辛く感じるくらいの階段なんです。 1日に3回も・・・ シヴァーナンダさんのあの大きな身体で登っていたんですね。 それもとても感慨深いな~ そして この本には シヴァーナンダさんのこの行為は 【決められた規則を忠実に守ることができるのに なぜそうしないのか?】ということのメッセージではないか? と書かれています。 また エゴについても 「規則にしたがわなくてもよい」という気持ち=エゴです。 しかし 寺院に行ってもエゴを大きくしてしまうこともあると・・・。 「私は一日としてプージャーを行なわない日はない」 「私は毎朝三時間も瞑想している」 という風に~ 何かをし続けようとするのがエゴです。 寺院にいくこと 坐ること 瞑想すること アーサナやジャパ、プラーナーヤーマを行なうこと。 これもみんなエゴです。 しかし サーダナ・エゴを捨てるためにサーダナを放棄したら エゴ以外のなにも残らなくなってしまいます。 「エゴ」+「サーダナ」の方が「エゴ」-「サーダナ」よりは良い! やらないよりはやったほうがいいんです♪ 何をするにも「エゴ」に直面するので・・・ 「エゴ」を認めることだ!と成瀬先生はおっしゃっていました♪ そして シヴァーナンダさんは【マナスィック・プージャー(心の礼拝)】もたいへん好まれ よくガンジス河の河原に坐っては ガンジス河とヒマーラヤに対しプージャーを行なっていた。 と・・・書かれています。 ヨーロッパ人ならテムズ河やアルプスを讃美すれば良い。 と・・・ 静岡に住む私なら 富士山と柿田川を讃美し 富士山と柿田川を見て「ただの山。ただの川だ。」と思うことはエゴになってしまうそうです。 そんな風にエゴが湧き起こってきたときはエゴを観察する良い機会だと思うといいそうです。 【ムールティー・プージャー(神像の礼拝)】と【マナスィック・プージャー(心の礼拝)】は どちらか一方ではなく両方必要なんだそうです。 心が大切だと言われていますが 心は失われやすいので そんな時に【ムールティー・プージャー(神像の礼拝)】を行なっていることで 全てが無くなってしまうことはないからです。 こんなようなことを、インドへ行った時にアーシュラムの朝の瞑想の後のレクチャーの時にも教えていただきました。 神って考えたり 祭式って考えると なんだか壮大で~ 大げさなお話しって感じがするのですが 何にでも優しい気持ちでいることが エゴに対しても 見守っていける ひとつのポイントではないかと思います。 そんな優しい~気持ちで自然と共存していくこと♪を さら~っとしたいな~(← またコレもエゴ・・・エゴを認めます。) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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